「シン・ゴジラ」感想

先日品川で見ました。ねたばれ有り。




東京湾に現れた巨大生物が、不自然なほどに船を溜めながら多摩川を遡行し、上陸後も建物を倒壊させて土煙を上げながら移動していくという津波っぽいシーンにはじまり、巨大生物は一度いなくなるが、通ったルートに放射線量の上昇が認められるために放射能問題としての対処も必要となる。そして再度現れ東京を破壊し、みたいな展開。つまり、ものすごく東日本大震災とそれに続く原発事故を想起させる作りになっている。最終的な対処法も「冷温停止」であり、巨大生物再出現からはどちらかというと原発事故への対処という方が主になってくる。わざわざ一度いなくなってその空き時間に放射線問題が浮上するあたり、「3.11」から「3.12*1」へと問題がシフトする様を明確にしている。

そして、巨大生物が出現した冒頭から、問題対処の主体として政治家と官僚(そこに付随して動く自衛隊など)の動きがとにかく描かれる。つまり、船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』の読書体験と同様のものがあり、もうあの本の映像化と言ってもいいんじゃないかくらいの印象あった。長谷川博己細野豪志だろうし、高良健吾は寺田学あたりじゃないの(肩書ちがうが)と思った。主人公矢口が率いる対策本部は各省庁のはみ出し者的な、要するにおたくっぽいキャラクターが集められている。これも菅直人が言ったとされる「誰でもいいからわかる奴全員呼んで来い」に対応してるのかもしれないけど、単に「課題対応」映画の伝統(正規軍も役に立たないような危機を、出世コースからはずれた者のアイデアでどうにかする)というだけかも。

『カウントダウン・メルトダウン』に書いてあるエピソードで、震災直後に第1回緊急災害対策本部会議を開くものの、カメラが入っていなかったのでもう一度マスコミの前で同じ会議を行い、そのことに海江田万里がイラつくみたいなのがある。この映画でも「東京湾での事象」直後からたびたび会議が開かれ、そこには形式的な要素も感じられるため、事態の異様さが明らかになっていくことと形式主義とのギャップが序盤の(笑えてくるという意味での)おもしろさのひとつになっている。とはいえ、会議が多くても非常にテンポがよく、首相が自衛隊出動とか市街地での武器使用を許可するにあたり逡巡するシーンがあってもそれほど時間的に間延びしないので、こちら(観客)が「とっとと認めろよ」的にイラつくことはほんとんどないんじゃないかと思った。非常時における諸手続きをことさらに悪く描いているようなものではないと感じた。ということが言いたい*2

と、いうような感じで、どうしても原発事故映画として見てしまいそうな作りになっているものの、「3.12」後に起きたが映画では取り上げられていない物事は数多くあるし、またそもそも海中から突然出現した怪獣であるだけに人間社会の責任関係の網の外に置くことができる*3ので、東京電力にあたる勢力も出てこないし、原子力発電所(への対処)になぞらえて見ることには大きなあやうさもある。つまり、ふくいち対応を想像させつつも事態はかなり単純化されており、(リアルなどという感想も少なくないが)現実だったら直面するだろう多くの問題をそぎ落としたイージーモードのなかで、政治家やテクノクラートを活躍させているものとして見る必要がある。

とりわけ、市井の人々は顔も名もない存在でしかなく、おそらく死にまくってるのだろうが、凄惨な絵もほとんどない。これこそイージーモード舞台装置の最たる要素であり、このことによって政治家やテクノクラート(そして自衛隊)の活躍を安心して応援できるようになっている。

これについて「私たちはもう3.11を経験しているのだから、市井の人々の反応は描かなくてもわかっているだろうから省かれたのでは」*4みたいな見解もあるようだが、なんであれ「何を省き/省かなかったか」の取捨選択は問題になるし、その選択が全体としてどういう効果をもったかという(当然起こってくる)話においてはきわめて不十分な応答だろう*5。またさらに、「収束労働のあり方など原発事故対応に倫理的な大問題があることは確かであり、現実としてすでに経験されている以上、観客はみんなそれを折り込んで鑑賞するだろうし、劇中でエクスキューズ的に悩んでみせる必要はない」などとも言えば言える。しかし現実に経験しつつ全く「乗り越え」られていない課題であるし、娯楽作品なので倫理的コンフリクトを回避した箱庭で好き勝手やろうがいいんだけど、そういう側面を「あえて」「積極的に」評価し受容する感想にはむかつく。作品自体にも題材に対して誠実だろうかという疑問はつく。市井の人々の被害や死の描写をほとんど省いたことを評価しつつ、それは描かれずともしっかり考慮されていたはずだ、などと最大限に好意的に解釈するのも無理筋に思える。それこそ、「お上は全てを織り込んだ上で、最も適切な決断をしてくださる」みたいな発想でとにかくキモイ。どこか別の世界に生きているのか、映画館に入るとおかしくなるのかどっちかだろう。

ということもあり、(住民避難が完了してるとかいうことはそれなりに重視されているが)武器使用の制限をはずされた自衛隊が丸子橋で好き放題やるのにはイラついた。もちろん、怪獣映画を好機と製作に協力してくる現実世界の自衛隊にむかついているのである。ツイッターで見られる「知り合いの隊員に聞いたら完璧な作戦らしい」みたいな作り話も不快すぎる*6

最後の作戦はまさに特攻である。コンクリートポンプ車の第一波を担った民間協力者はみんな逃げおくれて死んだのでわ? はっきりとしないけど。このはっきりしなさ。特攻が特攻らしくないもののように描かれているところに邪悪さがある。同じ邪悪さは現実世界で経験されているにせよ。

というわけで、非常にたのしい部分があったと同時に、たかだか5年前のことを明白にネタにして、その上でこういう切り取り方するのって「いやいや怪獣映画ですから」て言い訳で済むの? というような感想がまずあった。それに反し「日本の底力」とか「がんばろう日本」式の熱狂した高評価が視界に入りきもちわるい。「政治家の仕事のあるべき姿が描かれていた」みたいなのもわけがわからない。

*1:矢部史郎的に言えば。 http://piratecom.blogspot.jp/2012/02/blog-post.html

*2:ということもあるし、官僚が活躍する群像劇としての体裁が最後まで続くため、遵法精神的なものを見出せそうになるが、わりと早い段階で非常時体制になってしまうことを考えるとそこまでは言えないかも。 なんとなく「品位」を保ったムーブをしつつ、やってることはわりと自由というか。この消息は「相棒シリーズ」に見られるものに近い。つまり、杉下右京は捜査において独自の信念によって行動するため、ときに警職法を軽やかに逸脱する。「公務執行妨害で引っ張りましょう」というセリフもある。こういうキャラクターを「頼もしい」と思うかとかは個人の勝手でだけど、警察ヒーロー像としてどうなの、ということは言える。

*3:アメリカがどうのとか核廃棄物を食べてどうのという描写はあるが、所詮は怪獣である。

*4:http://ocnis.petit.cc/lime/2601500 のコメント欄など

*5:もっと言うと、倫理的なコンフリクトが回避されていることを評価したいあまりにわざとバカになってるような印象すら受ける

*6:劇中で自衛隊も米軍も巨大生物に敗れるんだから自衛隊美化ではないんじゃない式の反論も予想されるが、これは前述の通り、正規軍は負けないと映画にならないので、敗れることを評価することはできない。