「生活困窮者」とお酒


公設派遣村の利用者200人が無断外泊をしたとか、渡された行動費(?)2万円で酒を飲んだとかいう報道があり、また、それは正確ではない、いい加減な報道はやめろ、という表明もなされています。

東京都の派遣村200人、無断外泊 交通費2万円受給後
http://www.asahi.com/national/update/0107/TKY201001070240.html

公設派遣村「無断外泊200名」は事実誤認 - 大多数の利用者は真剣に努力
http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10432612600.html

(1) 先週後半から「無断外泊200名」とか「2万円を持って逃亡」、飲酒事件など、東京都の「生活総合相談」の利用者(大田区の宿泊施設滞在者)の不祥事に関する情報が、一部メディアで盛んに報じられています。しかし、これらは誤った情報に基づく完全な事実誤認か、ごく一部の心ない利用者の行動を誇張して、生活再建に真剣に努力する大多数の利用者の心を深く傷つける行為と言わざるを得ません。中には、「?」マーク等をつるとか、今回とは全く関係ない昨年の「年越し派遣村」の写真を掲載して無関係の脚注をつけるなどの報道もあります。マスコミ各社には事実を正確に取材した冷静な報道を求めるものです。

中略

 (3) ごく一部ですが、心ない利用者が飲酒や貴重な行動費2万円(交通費、昼食代)を費消したことは事実であり、ワンストップの会としても非常に残念に感じています。しかし、大多数の利用者は真剣に各種制度を利用した生活再建の道に踏み出し、真剣に努力しています。生活保護について言えば、多くの区で今週前半に開始決定が出る予定であり、住まい探しが佳境にはいっている状況です。


このワンストップの会からの声明で「ごく一部の心ない利用者」という表現がなされていることはかなり違和感があります。ニートのあしたというブログでも指摘されていますが、ニートのあしたでの指摘とは別の観点でもそう思うので、いちおう書いておきます。


それはともかくそもそもよくわからないのが、政府設置の「貧困・困窮者支援チーム」発の事業が描く「困窮者支援」が、東京都では(建前上であれ)「求職の意志を示した者」に限定して提供されることになっていたことです*1。貧困・困窮者支援チームは「緊急雇用対策本部」に設置されてるんだから当たり前ではないか、となるかもしれないけど、東京都の「公設派遣村」だけでなく、各地でも「貧困・困窮者支援チーム」の号令のもと困窮者への年末年始の宿泊提供は行われていて、そのなかには、従来から行政と支援団体の連携のもと行われていた野宿者への越年越冬事業が今年も行われたというだけ、というのも含まれています*2。野宿者への越年越冬事業にも当然「自立支援」的な性格はあるので、東京都の事業とかけはなれていたかといえばそうでもないのかもしれないですが、この東京都の公設派遣村ばっかりがいろいろと騒がれた割には、理念がよくわからないというか、昨年の「派遣村」をなぞるでもなく、「困窮者支援」という看板の下でありながら「困窮者支援」とはとても言えない内容しか打ち出していなかったのは意味不明だと思いました。なんかアリバイ作り程度という印象。と言ったら言い過ぎかもしれないけど。というのも、(求職登録が必要な点でも)誰でも受け入れる宿泊所、緊急シェルターですらなかったし、自立支援の機能がメインであったにしてもそれは極めて心もとないものであったようです。例えば「ワンストップの会」が要望書を出したり、(公設派遣村内とは)別に相談会をバスで行い、都がそれに反発したりということがありました*3。結果としては入所者の大半が生活保護を受給し、とりあえずのアパートも確保でき、今後も求職活動を続けていく。というかたちで一段落したようですが*4


ここで冒頭の話題に戻りますが、こういう意味不明な事業であるだけに、というべきか、生活困窮者とアディクションの問題への意識がすっぽり抜け落ちているように思えます。「ワンストップの会」がさしあたって派遣村の限定的な機能、つまり就労支援を焦点にしているので、酒を買った人を「一部の心ない利用者」と表現し遺憾の意を示さざるを得ない。というような事情があるのかもしれないし、またあるいは、酒を買った利用者はアルコール依存症でもなんでもないなど裏が取れている。ということもあるかもしれないです。どうであれ、やはり不適切だと思います*5。本当の意味での困窮者支援であれば、一面においては、酒を買った人にこそ提供されるべきだからです。今こそ声高に言うべきことは、アルコール依存、ギャンブル依存、薬物依存等々はその責を当事者個人に押し付けるべき問題ではないということであり、諸々の疾病に対するがごとく依存症脱出への取り組みがなされるべきだということです。例えばギャンブル依存関係での体験談では、競馬だか競輪だかのために山林を売ってしまい親族関係を絶たれてそれ以来ずっと野宿生活というような実例があります。収入の全てを飲んでしまい、借金を作って酒を飲み、やがては仕事も出来なくなる。という話もあります。「ギャンブル中毒」「アル中」と呼ばれる人たちは関わる人たちに迷惑をかけ疎まれ一人になります。酒にしろギャンブルにしろ嗜好品とか楽しみという側面が強いために、それらにはまりこんでなにか過ちをおかすとかすればよりいっそう蔑まれ憎まれます。当事者家族などは実際にたいへんな苦労をするので、当事者間の範囲でそうした感情が出てくるのは仕方のないことではあるものの、アディクションの問題を社会的な問題として捉えた場合には、「自己責任のおろかなアル中」といったような偏見を放置してもなにもいいことはありません。依存症になる契機はいろいろあるものの、いざ依存症になれば人はアルコールやギャンブルへの欲求に対して全く無力になり、望ましくない結果を自ら招いてしまいます。なにか不幸なきっかけで依存症になり居場所を失い……ということが起きていて、それがたまたま酒やギャンブルに関わるものであったために「心ある」人たちからは「心ない」人などと言われ、ますます困窮の度合いを深めていくわけです。


アディクションに対応するアプローチはいろいろあるし、また研究されている分野ですが、第一には酒やギャンブル等に対して全く無力なった自分を自覚し、内面化された「自己責任」の感情や自己嫌悪をやめ、依存症に対処していく自覚を持つところからはじまるそうです。私はなにも酒飲みみんなを自助グループに入れろとか、酒やギャンブルその他を強力に規制しろとか言いたいわけではないですが、少なくとも生活困窮者*6支援の現場から「酒を飲んだ者」が排除されるとしたら、こんなにおかしなことはないと思います。実際の野宿者支援の現場ではアディクションに対応していく問題意識はあるし、自助グループと組んだ取り組みも実際になされていますが、それはそれとして、世間一般の例えば「アル中」への偏見もなくしていくべきだと思います。


あと、必要のない補足かもしれないですが、私は「優秀な勤労人民」の一員に復帰してもらうためにもアディクションを問題にしろとか言っているわけではないです。アルコール依存症とかはライフスタイルの問題ではないということです。本人が楽しそうにおいしそうにお酒を飲んでいても、実は望ましからざる領野へ踏み込んでいるという現実があり、その悩みは問題として共有されるべきだということです。

*1:東京都のいわゆる「公設派遣村」を利用するためには、事前にハローワークで求職登録する必要がありました。

*2:もちろん、それの実施に当たって行政が介入の度合いを強めたりとかいろいろの違いはあったみたいですが。

*3:http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10424403515.html

*4:http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20100118ATDG1800G18012010.html

*5:後者だったとしても、後述する「アル中」への偏見に掉さす表現なので不適切だと思います。

*6:「生活困窮者」ていう言い方もなんかな……と思ったのでタイトルではカッコつきにしました。