戦後70年談話から日韓合意へ

引用(孫引き)ばかりになってしまうけれども。

金光翔氏が最近のブログでおよそ40年前に書かれた文章を紹介している*1

松本健一「腐食する戦後体制と右傾化」(『エコノミスト1978年12月19日号。松本健一『戦後世代の風景――1964年以後』(第三文明社、1980年1月)に所収)から引用する(前掲書、220〜220頁。強調は引用者)。基本的に、こうしたやり方が現在まで続いているということだろう。
http://watashinim.exblog.jp/22888378/

こういった一連の動きを右傾化とみることはできよう。しかし、自民党政府がひたすら戦前への回帰をめざしている、とみるのはどうか。たしかに現在の野党の反対運動は、これをすべて戦前への回帰とみている。それゆえに、戦後の擁護にまわり、戦後の理念的象徴である「民主憲法」にしがみつく、といった構えをとるのである。

これは、未来にビジョンをもたない自民党政府にとっては願ってもない状況である。ちょっとでも〈戦前的なもの〉のよろいをちらつかせれば、戦後体制の大体の修復と補強はなしうるのであり、そのことによって「民主憲法」の理念的空洞化は果たしうるのであろう。つまりは、そのことによって容易に権力を維持しつづけることができるのである。
http://watashinim.exblog.jp/22888378/

今も似たような状況すぎてびっくりした。ずっと続いてきたのだなあ。

以下蛇足。
安保法制への反対運動のなかでも、安倍晋三は「平和主義国家日本の『戦後の歩み』を破壊する者」として表象され、それに対峙する「われわれ=国民」が丸ごと戦後体制を擁護してしまうかのような事態が見られた。
これは、あまりに巧妙で狡猾な政権与党にまたもやしてやられた、ということでもなさそう。安保法制反対の立場を自認する「国民」にしても平和憲法こみで戦後を評価してみせたところで憲法愛国主義的な足場を原則的に追求してきたわけでもないし*2、政権与党と根本的な価値観はかなり共有していて対抗軸も立てあぐねるくらいだったのでは。「反アベ」ばかりがやけに際立ったのもそういうことだろう。
そしてこの状況の上に、戦後70年首相談話があり、「慰安婦」日韓合意といった安倍晋三の「成果」が積み上げられていった。
ここで戦後70年首相談話への新聞各紙の反応を思い出そう。ヘイトスピーチに反対する会のブログから引用する。

安倍談話の何が、こうした肯定的反応を引き出しているのか。それを探る一つの方法として、談話の擁護者にも批判者にも共有されている前提に注目してみたい。賛否両論に分裂したたと言われる、主要各紙の15日社説を見よう。

まず、今回の談話をもって「謝罪」を打ち止めにしようとしていること。産経がこの点をはっきり評価しているほか、読売も談話を「未来志向の外交」への転換につながるものと位置づけている。その一方で、朝日社説はもっとも批判的なトーンで書かれているものの、「謝罪を続けたくないなら」と謝罪の打ち止めという意図を受け入れたうえで、安倍がもっと潔く謝罪すべきだったと指摘しているにすぎない。

日本の「平和主義」を維持するという文言についても、異論を表明している社説は見当たらない。むしろ、たとえば全体としては談話に批判的である東京社説は、談話内の「七十年間に及ぶ平和国家としての歩み」を「これからも貫く」という一文について、「その決意に異議はない」「先人たちの先見の明と努力は今を生きる私たちの誇りだ」とコメントしている(東京15日社説)。
http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-142.html

合わせてSEALDsによる「戦後70年宣言文」のURLも貼っておこう。
http://site231363-4631-285.strikingly.com/

SEALDsのものについては強行採決への警戒や「積極的平和主義」看板への批判はあるが、ネガティブワードとポジティブワードの使い分け方針とかの大枠において安倍70年談話と似ている。安倍70年談話は信じてもいなさそうな「人権」などの理念に言及しつつ戦後肯定と今後への野望を織りこむところに奇妙さがあり、普遍的な理念が空疎に持ち出されほとんど嘘なのではないかというくらいの淀みなさとともに「信じてること/信じたいこと」らしきものも配置されているため「どこまで本気なんだ」という奇怪さがある。SEALDsの宣言文にしても「平和主義」うんぬんの取扱いについて同様の奇怪さまでもおぼえる。でもいろいろとバランスに配慮した文章であることはわかった。
あと、「満州事変に端を発する先の戦争」という切り出し方には注目すべきである。いわゆる「15年戦争史観」ということで特別めずらしい見解でもないものの、そこでは植民地支配における暴力が切り捨てられているということはやはり指摘しておかなければならない。(ちなみに、奥田愛基、小林よしのり両氏の対談があるが、そこで小林よしのりは「やっぱり、満州事変までは自衛戦争なのよ」と言っている*3 )。
これは「先の大戦」呼称・期間をどうするかという問題だけど、この問題がすごく重要だなとしみじみ感じてきたのは私にとってはごく最近のことである。不明を恥じるしかない(とつぜんの自分語り)。
あと、「平和の歩み」などと「平和」について発声されるが、その「平和」とは一体何なのか? そしてそれに対置されているであろう「戦争状態」とはどういうものを指しているのか? について最近考えており、まとまってないし稿を改めたいんだけど、とりあえず適当に書き出しておく。

ごく狭い生活空間における主観的な「平和」が「戦争状態」と対置されるとすれば、「内地」住人、とりわけ東京住みの主観としては大戦の開始は1941年12月8日(真珠湾攻撃)ですらなく、空襲がはじまるまで戦争じゃないという極端な立場もありうる。ただ、より穏当には平時/戦時という対置であろうから、戦時法制その他の影響を考えれば誰それの主観に求めるにせよ戦争開始時期には非常に長い幅がとれるだろう。歴史的事実としての戦闘行為のはじまりからでいいんじゃないのと思われるかもだが、例えば植民地では正規軍から入植者に至るまで武装しており、事実として紛争はずっとあった。このようなことをもって愼蒼宇氏は「朝鮮からの視点としては『140年戦争』である」ということを提起している(私が最近こういうこと考てるとかいうのも完全にこの提起の影響下であるのでみなさんもぜひ参照してほしい)。またさらに現代では戦争のあり方も変わってきてるんだとともう20年以上言われている。それ言うと多分ずっと途切れなく戦争状態てことになるし、いたずらに「戦争」「平和」概念を拡張するのもあれだという意見ももっともであろうが、「帰ったらご飯をつくって待ってくれているお母さんがいて(後略)」な日常*4は戦時にも成立しうるということは何度でも確認しておきたい。むしろ、満州以前(以後も)の内地における主観では、新たなビジネスや繁栄の可能性が感じられ、おじいちゃんからの仕送り額も増えそうなわくわくする日常だったはずである。

というわけで「戦争」についても「平和」についても認識を改める必要があるし、安倍ひとりを止めるためにウソを重ねてもいけない。なんか政治状況の悪いニュースが多すぎて、それに圧倒されてて全然思考が追いついてない。のでたまには文章にまとめることも必要な気がした。


田島正樹氏がブログで、ヘロドトスの一節を紹介していたが本当にこのペルシア人みたいになりそうでつらい。

「あなたと私とは食卓をともにし、また一緒に献酒もした縁があるので、記念の意味で私の考えをお話ししておきたいと思う。それによってあなたがこれから起こるべきことをあらかじめ知り、有利な身の振り方をなさることができればよいと願うからだ。あなたはここに食事しているペルシア人たち、また我々が河岸に野営させて残してきた軍勢をご覧であろう。それがしばらくすれば、あなたの眼に映るのはこれら総勢のうち生き残った僅かばかりの人間だけになってしまうのだ。」

そう言うとともにそのペルシア人はさめざめと泣いたという。テルサンドロスはこの言葉に驚いて、

「それならばそのことをマルドニオス〔指揮官〕はじめ彼に次いで要路にあるペルシア人の方々にお話になるべきではないのですか。」

と彼に言うと、ペルシア人が言うには、

「異国の方よ、神意によっておこるべき運命にあることは、人間の手で進路をそらせる方策はない。信ずべきことを口にしても、誰ひとり耳を貸そうとはせぬ。ペルシア人の中にも、今私が申し上げたようなことを認識しているものは決して少なくはない。しかし我々はみな「アナンケ(必然)」の力に金縛りにされ、成り行きに従っているにすぎぬのだ。この世で何が悲しいと言って、自分がいろいろのことを知りながら、無力のためにそれをどうにもできぬことほど悲しいことはない。」(同p−246)
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52443937.html

*1:以下の「メモ40」だけでなくほかのも読むべき

*2:そもそもそんな勢力あるのか??

*3: http://www.poco2.jp/special/talk/2015/09/kobayashi-sealds/page6.html

*4: https://twitter.com/SEALDs_jpn/status/624549914941329408