「家でやろう」7月の新作が伝えようとしていること

真野森作さんありがとー!


7月1日の毎日新聞に、こんな記事がありました。

東京メトロ:ポスターが熱い 化粧・携帯電話…「家でやろう。」 /東京

東京メトロ(本社・台東区)が駅構内や車内に4月から掲示しているマナーポスターのシリーズが注目を集めている。電車内で化粧したり、携帯電話をかける人のイラストに「家でやろう。」とずばり一言を添えている。軽やかなタッチのポスターに、インターネット上のブログでは賛否両論が百出している。【真野森作】

(中略)

「○○でやろう。」のコピーは稗田さん、寄藤さんの対話から生まれた。地下鉄によく乗る稗田さんは「プライベートですべきことを公共の場でしていることに気持ち悪さを感じていた。マナー問題は感情論になりがちなので、ユーモラスに解答を提示できればと考えた」。寄藤さんも「『なぜいけないのか?』に答えるのは難しいが、家でやったほうがいいのは間違いない」という。

(中略)

東京メトロへ乗客から寄せられた意見を参考に、来年3月まで毎月、イラストが変わる。4月は脚を広げて2人分の座席を独り占めする若者▽5月はまつ毛を整え化粧する女性▽6月は携帯で長電話する女性が登場した。個人のブログなどでは「説得力がある」「センスが良い」といった肯定的な意見が多いが、中には「車内で酒を飲んでるおじさんこそなんとかしてほしい」という反論や「公共の場では異質な他者と出会うのが当然」とマナーポスター自体に否定的な声も。

広告に精通するコラムニストの天野祐吉さんは「誰でもお説教を言われたくないので、マナー広告にはユーモアのオブラートが必要。今回のポスターは、『やろう』と肯定的なコピーと、変にリアルではないイラストのころあいがうまい」と評価している。
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20080701ddlk13040299000c.html

この記事では東京メトロの「家でやろう」シリーズに対して、「賛否両論が百出している」と書いてるけど、私の感覚ではそうでもない。否定的なブログもいくつか見つけられないことはないけど、全体的には「これいい!」みたいな賛成意見が圧倒していると思う。*1

「公共の場では異質な他者と出会うのが当然」とマナーポスター自体に否定的な声も。

ここで引用されている「否定的な声」って私のことだし。マナーポスターに粘着してしつこく否定的なこと書いてるブログって他にもあるなら嬉しいけど、私は今のところ(自分のとこしか)知らない。それなのに、「賛否両論が百出している」って記事にしてくれたのはすっごく嬉しい!! 「東京メトロの『家でやろう』シリーズにブログでも絶賛の嵐」みたいな記事だったら悲しかった。私のブログを読んでくれて、圧倒的な「賛」の中の数少ない「否」をちゃんと取り上げてくれたことに、記事を書いたと思われる真野森作さんにありがとうと言いたい! 私の「反マナーポスター」の考えに大手メディアが言及してくれる日が来るとは思ってなかったから、ブログやって良かったーと思いました。*2

7月の新作


車内での音漏れに、ご注意ください。

というわけで7月のポスターだけど、ヘッドホンの音漏れがテーマ。
やはり「『なぜいけないのか?』に答えるのは難しいが、家でやったほうがいいのは間違いない」という程度の浅い考えの人が作ってるだけあって、今月の図案にも大きな問題がある。

毎回登場してるおっさん*3が迷惑がましく耳を塞いでるけど、音量が気になるなら下げてもらえばいいだけの話である。なぜおっさんはそれをせず、耳を塞いで心の中で「家でやろう」と呟くのだろうか?


話は少し逸れるけど、私が機会あってこういう主張(マナーポスターなんか剥がせ)をした後に、
「そうだよねー。っていうか音漏れがうるさいとか注意してるオッサンが一番うるさいし。そもそも。」
と返してくれる人がいる。

なんか賛同してくれてるっぽいトーンではあるんだけど、私の考えではこの意見も全然ダメ。「オッサンが一番うるさい」と糾弾できると思っている点で不快感至上主義に他ならないし、抗議の声をも封じようとするならばただの不快感至上主義よりももっとタチの悪い代物である。つまり、「注意をするのも迷惑なんだから、注意しないでもやめさせるような空気を作っていこうよ」的発想であり、2007年の流行語にもなった「KY」とかそういう発想である。


今月のポスターも、となりのおっさんが人差し指を立てて若者に抗議してる構図なら良かったと思う。

しかし、今の日本社会ではそうしたこともマナー違反なのである。異質な他者とは対話するのもダメなのである。


私が反マナーポスターという立場で非難しているのは、まさにこの一点に尽きる。公共空間における「不快」を減らし、暴力の絡むトラブルを未然に防ぐための訴えに、なぜ「耳を塞いで迷惑がるおっさん像」などを持ち出すのだろうか? なぜ「良識的」立場は対話を拒否し、耳を塞いでしまうのだろうか? 私は、赤の他人とコミュニケートし、思いを通わせることで世の中は良くなるのだと思う。マナーポスターを貼るならそういう方向性で作ってくれと言ってるのだ。ただ単に。


(途中でおわり・つづく)

*1:といっても、しっかり検証したわけじゃない。もしかしたら「反マナーポスター派」もすごく多いのかもしれない。

*2:今まではmixiでこの手のこと繰り返し書いてて、最近はマイミクさんにも飽きられてきてたし。

*3:「良識」の象徴