後退戦、かなしい


在特会なんか相手にしなくてもいい」という意見があって、つまりそれが「敵は在特会じゃない××だ。××への批判の手をゆるめるな」*1という意味ならそんなことはとっくにわかってる。「あんなカルトに向き合うことは同じレベルに身を落とすことだ」「ただ黙殺すれば良い」という意味ならそれは全然だめ。認識不足です。例えば、これは在特会の活動そのものではないのでやや話がそれますが、日本の台湾植民地統治を扱ったNHKスペシャルJAPANデビュー"アジアの一等国"」に対する抗議運動なんかは8000人以上が名を連ねたNHKへの集団訴訟になりました。国会議員(当時)の中山成彬も動いています。この盛り上がりには多少驚かされました。確かに、「NHKの大罪」界隈と在特会は全く同じではないみたいですが、8/15に九段坂下で演説してた在特会の人は高金素梅さんに(ヘイトむき出しで)言及していたし、私としては自慰史観や排外主義の度合いの違いには興味ありません。いずれにせよ共通の土壌があります。多分、在特会は「代弁者」でもある。彼らが引き受けているのは、良識ヅラした大人たちにはとても口に出せない欲望だったり、憎しみだったりするのかもしれない。それもあるだろうけど、もっと大きいのは日本社会に内在する排外主義であり、日本が歴史的に形成した産業構造そのものに差別/排外主義的な国民統合の意志*2が宿命的に内在している。

むろん、日本はあらゆる場所においていまだ排外主義が根付いているのである。しかし、そうした排外主義は、あたかもあの金融資本主義の象徴的な手段である「証券化」のように、細かく細分化され、その最も不合理で、愚劣な、どうしようもない部分はより分けられ、下層に沈殿する。まさにその格付けが最低の証券の引き受け手が、在特会なのである。この点で、彼らを「政治」的な敵対者として認めず、愚かなばか者として見下すことこそが彼らに力を与えない最良の方策であると考える者はまちがっている。排外主義が持つ極端な不合理性を切り離せば切り離すほど、それは沈殿し、在特会によって引き受けられていく。
http://h.hatena.ne.jp/hokusyu/9236534213747842917


他方、例えば牛久入管では、非人道的な処遇が行われ収容制度そのものにも問題がある*3。同様の問題は各地の入管にもある。また「マクリーン事件」の判決によれば、憲法の規定する「基本的人権」は外国人にあっては既存の在留制度の範囲内でのみ保障されるとあり、このケースは判例として今も有効性を持っている*4外国人労働者が不安定で劣悪な就労状況にあることはもうみんな知ってる。入管問題や外国人労働者の問題は全く詳しくないですが、そんな私が見聞きする範囲で適当に挙げてもこれだけ象徴的な事例があるということです。

外国人労働者は、外国人であると同時に労働者階級の一員である。とかく文化的葛藤が注目されがちな彼らの労働過程も、そこをつらぬくものは資本の論理であり、分断され階層化された労働者階級の一番したにおかれた外国人に対して行われていることが、いつ日本人にまわってこないとも限らない。不安定な雇用におびえる外国人の姿は、彼らの苦境にそ知らぬ顔をしている日本人自身の明日の姿なのだ。
ななころびやおき『ブエノス・ディアス、ニッポン』ラティーナ,p36


ヘイトスピーチは許さない」というとき、一つは、もちろん在特会なり(ネット)右翼なりのヘイトスピーチそのものが問題になります。それも彼らを嘲笑したり、「若気の至り」などと軽視するようなやり方でなく問題にすべきです。彼らを軽視したり黙殺しようとすることは、上に書いたように、すでにムーブメントが大きくなっていることを過小評価する点で誤りです。そしてまた、強調したい点ですが、在特会なりネット右翼なりが「若気の至り」だろうが「心の病」だろうが、それは問題としてあるけれども、軽視する理由にはならないし放置はできないということです。なぜって、在特会なりネット右翼なりが憎悪をこめて「中韓」をはじめとする外国人に差別的な言葉を投げかけるとき、その暴力に晒される側にしてみたら、暴力を振るう側に若さゆえの一時の気の迷いとかそんな事情があろうが何だろうがどうでもいいはずだからです。つまり、「政治にかぶれる青春もあるさ」というような物言いで彼らの振る舞いを総括し軽視することは、彼らの主張そのものが現実として暴力に他ならないという現状認識を欠き、またその暴力に傷つく人たちがいるということを想像しえない点で全く不適切です。じゃあどうすればいいか。どうするもこうするも、差別が許される局面などない*5


しかし、在特会とかを相手にするのはあくまで後退戦でしかない*6。入管問題にしても労働問題にしても、現場ごとに当事者と向き合う地道な運動があります。それらだけでなく、差別と排除の問題はいたるところにあり、いたるところで極めて少数の人たちが闘っていて、もちろん「成果」と呼べる経験も沢山ある。しかしその一方で、外国人に対する差別的な政策は残っているし、外国人だけでなく日本人労働者たちも階層化したなかで年間3万を越す人々が自殺している。そして、生活不満や「やり切れなさ」を背景にしているのか、在特会のような差別者集団が往来に出てくるようにもなってきた*7。「現場でがんばっている人はすごいなあ」「実務家にまかせておこう」と感心している間に事態はここまで後退したわけです。秋葉原の路上でたった一人(正確には三人?)の常野さんが暴力と怒号に晒されてる動画を見ました。
「なんてひどい事態!」
しかし日本人としての、傍観者としての日々の暮らしそのものが、「ひどい事態」への加担であった。じゃあどうすれば? 最初に「敵は在特会じゃない××だ。」と書きました。××は人それぞれ設定される部分もあるでしょう。しかし排外主義暴力を問題にした場合、根底にあるものは「日本人」というメンバーシップです。今や日本国籍であってもそのメンバーシップを与えられない/奪われるというだけの話です。それぞれの生に基づいた様々なアプローチがあるにせよ、このメンバーシップがあらゆる差別/排除の根源であることを直視しない限りはなにもはじまりません。つまり「反日」ということです。「仲間たちと手を取り合っていきたい」ここでいう「仲間」が本当に無限定なものであるなら、仲間とともに暮らす生活はつまり「日本」への反抗であり、「反日」でないなら仲間とともに暮らすことはできないと思います。そんなわけで、このエントリは過去記事に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/Romance/20090627

*1:××には「日の丸」「排外主義」「入管制度」でもなんでも好きなのを入れてね。

*2:ここで「意志する」主体が具体的な誰かとして存在しているとかいうと陰謀論めくので、そこはそうとらないで欲しいです。とりあえずレーニンの言うような意味かなー。

*3:参考:牛久の会→http://www011.upp.so-net.ne.jp/ushikunokai/

*4:参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

*5:このへんの文体がなんかsk-44さんぽくなってる気がする……

*6:以前こう書いてました。"「在特会」なんていう差別者集団が大声をあげるに至る前から、もっと「ソフィスティケイトされた差別」が微量栄養素みたいに当たり前に必要とされて、日本社会のすみずみまで、血流のようなお金の流れに乗ってどこにでも存在していたように思います。"http://d.hatena.ne.jp/Romance/20090614#p1

*7:いわゆる「ネット右翼」現象については、私としてはおおざっぱながら、以下のような印象を持ってます。生活不満が「反戦平和」的な理想よりも露悪趣味みたいな「ホンネ」の表出を促し、「左翼フォビア」は80年代以降連綿と続く左翼運動/組合運動の退潮に軌を合わせつつも、国旗国歌法をめぐる議論あたりを一つの大きな契機として一段と強まり、しかも「左翼=売国勢力」みたいな陰謀論が広まるのにあわせて排外主義が躊躇なく口に出されるようになった。という感じ。かなり適当。