自主営業と強制執行(京品ホテルについて)

1月25日京品ホテル強制執行

京品ホテル強制執行 飛ぶ怒号届かぬ声

強制執行反対」「警察官は帰れ」。解雇後も自主営業を続け、強制執行に抵抗する元従業員ら。執行官に同行した警視庁の機動隊員は、力ずくで元従業員や支援者を排除していった。東京・品川駅前の京品ホテルは25日、騒然とした空気に包まれた。「必ず職場に戻る」。元従業員らは法廷闘争を続ける方針だが、職場復帰できるかどうかは厳しい情勢だ。 

ホテル玄関前には東京地裁による強制執行に備え、午前五時ごろから、元従業員や元従業員が所属する労働組合東京ユニオン」の組合員らが集結。「従業員の生存権を奪わないで」と書かれたゼッケンを着け、腕を組んで「人間バリケード」をつくった。

警視庁の機動隊員も続々と到着。午前七時ごろ、執行官が警備員とホテル内への立ち入りを試みたが、失敗。いったんは組合側との話し合いに応じたが、午前九時ごろ、機動隊員を伴って強制排除に乗り出した。
機動隊員が元従業員らを一人、また一人と引き離していく。「痛い」「やめろ」「人の心がないのか」。怒号が飛び交う。約三十分間、激しいもみ合いが続いた後、執行官がホテル内に入り、関係者全員を外に退去させた。

◆96日間に及んだ自主営業
一八七一(明治四)年創業の京品ホテルの経営会社「京品実業」は、バブル期の多角経営に失敗して借金がかさんだ。借金返済のためホテルを売却することにし、昨年五月、急きょ従業員らに同十月二十日での廃業と解雇を通告した。
従業員側は「営業利益の出ているホテルを廃業するのはおかしい。従業員に放漫経営のしわ寄せをした」と反発。「会社が納得できる説明をせず、話し合いに応じない」として法的措置をとりながら、解雇後も五十人前後が自主営業を継続。経営会社との交渉の糸口を探ってきた。
京品実業小林誠社長は当初から「廃業、解雇の方針は変わらない」と主張。解雇された元従業員らが自主営業を始めた後も、ホテルを「空の状態」で売却する方針を崩さず、元従業員との膠着(こうちゃく)状態が続いていた。
ホテルと一部の直営飲食店での自主営業は年を越し、二十五日の強制執行の前日までで九十六日間に及んだ。新しい職場に移っていく元従業員もいたが、残った人たちは交代で働き続けた。
元従業員らは自主営業で、飲食店の仕入れや光熱費を賄えるだけの利益を上げた。この利益から給料は得ておらず、諸経費を除いた残金は経営会社に渡すため、銀行口座にプールしている。
元従業員らが所属する東京ユニオンによると、これまでに支援の署名は五万人を超えているという。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009012602000081.html

京品ホテル関連の経緯については↓も参照ください。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20081112/111836/


半月近く前のニュースですが、1月25日、自主営業を続けていた京品ホテル強制執行が行われ、元従業員たちの「占拠」状態が解消されました。私はこの「京品ホテルの闘い」に(後述する観点から)つよい関心を持っていて、また、自主営業を続ける従業員たちを応援したい気持ちがあったので、昨年中から自主営業中の居酒屋<いの字>を利用するなどしていました。1月24日にちょっとした用事があって品川に出向いた際に、「1月25日未明に強制執行の見込み!」とのビラをもらったので、「野次馬」としてなにか協力できないかと思い、25日5時半頃、京品ホテル前に行きました*1



私が着いた頃には、スクラムを組んでる人たちのまわりに報道こそいっぱいいましたが、警察の姿はまだ見えませんでした。

ところで、なぜ25日「未明」であると想定されていたのか? 京品ホテルのすぐ隣にある<マクドナルド ウィング高輪店>が6:30開店のこともあり、品川駅高輪口周辺に人通りが増えてくる前に執行されるだろう、との予想があったのだと思います。しかし実際はかなり人通りの出てきた9時に執行されました。この事実は案外重いような気もします。



左:従業員側で指揮していた人 右:公安で指揮していた人



6:30くらいから私服の公安警官も含め警察が増えてきて、スクラムからの帰れコールの中、公安の人が直接交渉を試みる。



そのすぐあと(7時頃)、マクドナルド方面に集結していた「シンテイ」と最初の衝突。しかし、入り口前に固まっているスクラムをどうすることもできず、数分で撤退しました。




その後、組合側と執行官側との一時間におよぶ協議が(マクドナルドで)行われ、すっかり日が昇った品川駅前はいよいよ人通りも増えてきました。


そして、9時頃、二度目ということで覚悟を決めて、シンテイと制服警官がやってきました*2



かくして、三ヶ月を越える「異常事態」*3は解消され、品川駅前に諧調が戻ったのです。

疑似非暴力体制としての諧調


私がこの件に注目していたのは、自主営業という従業員たちの行動がまさに「直接行動」というかたちで品川駅前に乱調を提供し、「諧調」が内在する疑似非暴力体制の欺瞞性を暴き立てていたからです。労使関係が本質的に階級的敵対性/不平等性を孕んでいたとしても、通常は(個別のイシューについて)双方の努力によってなんらかの合意が得られ、諧調は保たれる。しかし、今回の京品実業の件のように、経営陣だけの都合から解雇通告に至ったといういきさつがあった場合に、その理不尽さが労使関係を完全に引き裂いてしまった。この引き裂かれた状況の中で、経営側はあくまで「合法性」を頼りにし、労働者側は自らの「正当性」に基づいて「自主営業」という「いつも通りの労働」を続けたわけです。そしてこの「品川駅前の乱調」は、司法機関が経営側に「合法性」のお墨付きを与えたことで「合法性」とも対峙することになり、結果として警察がホテルから従業員を排除する――国家暴力を白日の下に引きずり出したのです。

ガンジーは、各地から集まる農民をひきいて数十日のデモ行進を組織したが、たちまち禁止され、弾圧投獄があいついだ。にもかかわらず行進は、途中の町や村からの人々を加え、海岸へと進んでいった。そこで海水を採り、自ら製塩を行うというものであった。

それは、(イ)あくまで、法をおかしてでも行進をつづけることにおいて。(ロ)塩専売法を無視し、必要な塩を自ら採ることにおいて直接的に、それゆえ根底的に国家権力と対立するものとなった。

(中略)

それは<合法非合法を越えた存在行為>である。

彼が行進に参加して、抗議を行うこと。さらにその必要によって製塩することは、その正当さにおいて法的是非を越えたものである。国家はかならずその違法を問う。だがその法は彼の<正義>を罰することによって、みずからの悪を露呈せざるをえない。合法は権力者の<名分>であるだけで<正義>の保証ではない。直接行動に対して、法律がその強権をふるえばふるうほど、それは<法律そのものの不正義>を証明し、墓穴を掘ることとなる。

向井孝「現代暴力論ノート」,大沢正道編『アナキズムと現代』三一書房所収,p189-190


しかし、ここでいう「国家暴力」は強制執行の瞬間にあらわになったものそれだけではない。今回、京品ホテルの従業員の「正当性」を一切考慮しなかった司法機関/警察権力/「合法的な」経営形態、は総体として政治機構として、これまでも存在していたし今も存在している。そして、この政治機構は例外的対立として暴力を行使するのではなく、この政治機構自体が暴力装置として機能している。

「国家の暴力」は、「行為」そのものに加えられ、「行為」そのものを抑圧する。それは、「反-行為」(『弁証法的理性批判』におけるサルトルの言葉では「反-実践」)としての「暴力」なのであり、言い換えれば人間を無力化するシステムとしての暴力である。またそれは、人間を「孤立化」し「分離」するシステムそのものとしての「暴力」なのである。その意味で、「国家の暴力」とは、市民の「社会的平和」と何ら異なったものではない。この「平和」は、いわば暴力としての平和なのである。

永野潤「合法性が正当性を虐殺するとき」,『情況』2006年1・2月号,情況出版,p81-93
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/6142/ronbun/gohosei.html


今回の「京品ホテル闘争」において、また時としてひどく対立しもつれた野宿者排除の風景*4が報道されるとき、その対立の風景の解消をもって、「異常事態」は解消されたと人は言う。しかしそれは、対立の緊張状態が一時的に抑えられただけで、対立の解消を意味しない。国家暴力の圧倒的な力の介入によって「緊張状態」の持続を断念させられただけなのだ。

品川駅前に諧調が戻ったことは、何一つ解決を意味しない。この国の民主主義がまた一つ汚点を重ねただけ。


【関連】
京品ホテル強制執行 - MOJIMOJI's BLOG
http://www.mojimoji.org/blog/0138

*1:「野次馬!?」と思われるかもしれませんが、一般人の目があることが警察暴力にある程度の「自制」を期待させる要素になるので、結構重要なのです。

*2:野次馬もろとも突っ込んできたので、なんだかんだで私もかなり奥(ホテルの玄関)まで押し込まれ「むぎゅう」ってなったり軽くケガしたりしました……。

*3:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E5%93%81%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB

*4:この風景の影で、「日常的な」排除がまさに野宿者問題そのものの根本原因の一つであることが忘れられる。