抵抗者を顕彰できないテラ一本線

Romance2008-12-07



横浜事件の第4次再審請求に対して、再審開始が決定されましたね。

横浜事件、来年2月に再審公判 「でっち上げ」言及が焦点

戦時下最大の言論弾圧事件とされる「横浜事件」の第4次請求の再審初公判について横浜地裁(大島隆明裁判長)が、来年2月中旬に開く方針を弁護団に伝えていたことが27日、分かった。

再審公判では、治安維持法の廃止などを理由に裁判を打ち切る「免訴判決」が言い渡される公算が大きい。事件が「でっち上げ」だったかどうか、地裁がどこまで言及するかが焦点となる。

(中略)

弁護側は、遺族2人に加え「論文は共産主義を宣伝するものではなかった」とする鑑定書を作成した専門家など2人の証人尋問を申請。「自白は拷問によるものだった」などとして無罪判決を求める。検察側は免訴判決を求める見通し。

http://www.47news.jp/CN/200811/CN2008112701000815.html

今年の三月には第3次請求の免訴が確定したけど、今回のもまた免訴にされちゃうのだろうか。

こうした、戦時下の弾圧事件についての訴えに対して、「免訴」で法的決着のみを図るというのは実に姑息なやり口だと思います。第3次請求についてウィキペディアから引用すると↓

・一審の横浜地裁では、2006年2月9日、ポツダム宣言廃止とともに治安維持法は失効し、被告人が恩赦を受けたことで、刑訴法337条2号により免訴(根拠法の廃止により事件は初めからなかったものとし、有罪・無罪の判断をしない)が相当」という判決が出た。
控訴審の東京高裁では、免訴判決に対して無罪判決を求めて控訴できるかの法律論に終始し、弁護側が求めた事実審理は行われなかった。結局、2007年1月19日の判決公判では、免訴判決について「被告人は刑事裁判手続きから解放され、処罰されないのだから、被告人の上訴申し立てはその利益を欠き、不適法」として、控訴を棄却した。弁護団は即日、最高裁に上告した。
・上告審の最高裁判所第二小法廷は、2008年3月14日、「再審でも、刑の廃止や大赦があれば免訴になる」として遺族らの上告を棄却した。これによって再審手続きに法的な決着はついた形になったが、第3次請求に関しては事件の真相が明らかにされることなく終わった。


横浜事件 - Wikipedia*1

ただの形式的な法律論としてみれば、ごもっともと感じる人もいるかもしれない。しかし単純に、ごく一般的に考えてみても、再審には「確定判決についての救済」という通常審とは異なる意味合いがあるんだから、再審時の司法判断が(実体判断を欠き)訴訟条件判断にのみ終始したというのはあまりにお粗末ではないかと思います。こういう言い方をすると陰謀論めいてしまうけど、なんらかの政治的判断が働いているのでは? という疑いをどうしても抱いてしまう。というのも、先の記事にもあるけど、横浜事件は「戦時下最大の言論弾圧事件」なのであって、むしろこうした事件の被害者の名誉回復こそ、「戦後日本」が国家事業としてでも取り組まねばならない課題であったはずです。むしろ政治的判断によって事件の実態を精査し、「でっち上げ」が事実とすれば無罪判決を出し、同時に戦時下の「先軍政治」にともなう司法の罪をしっかり暴くべきだった。言うなれば、それが「被告人の上訴申し立てはその利益を……」と言ったときの「利益」です。「利益を欠く」などと断じるとはとんでもないことです。しかし実際には、形式的な法律論の立場に留まり免訴判決を出し、司法は横浜事件そのものに対する判断は避け、ただ単に「決着」をつけたのである。事件そのものは全く審理されていないに等しい。私はここに、「横浜事件(の実質)に対して司法判断をしない」という政治的意図が明確に立ち現れてきているように感じます。

横浜事件に無罪判決を出すことがなぜできないのか? こうした、戦前のそれも国内の事象についてさえ名誉回復ひとつできず、けじめがつけられないというのは本当に絶望的なことだと思います。

横浜事件は、鳩山邦夫*2に言えば「冤罪事件」ではありません。「創罪」とでも呼ばれるべきものであって、軍部・警察・その他による犯罪です。この事件は「でっち上げ」であったと言われており、当時の治安維持法に照らしても非合法ではなかった。しかし、じゃあ当時非合法だったとしたらどうでしょうか? 彼らは共産党再結成の謀議のために集ったのであり、当時の法制からすれば逮捕・投獄は全く適法であったとしたら?

それでもやはり名誉回復はなされなくてはなりません。

だってそうでしょう。「治安維持法」に代表される戦前/戦時的価値観を否定し、「政治的、公民的及び宗教的自由」を尊重しているのが日本国憲法であり、戦後ひいては現在の日本の精神、あえて言うならば「国体」だからです。そしてもっと言えば、戦時下の日本における抵抗者であったならば、名誉回復などにとどまらず、積極的に顕彰するべきです。それが戦後日本/新生日本が、よって立つ歴史認識に基づいて行うべき事業でしょう。

しかし顕彰どころか名誉回復もできない。そもそも非合法ですらなかったのにです!

ドイツではどうか。「白バラ」にせよなんにせよ、ナチスに対する抵抗運動は当時非合法であり、また、そのほとんどが敗北しました。「白バラ」にしたって当事者は逮捕され処刑されたわけです。合法的に。しかし、彼らは今や「抵抗者」として賞賛され、学校教育で取り上げられてさえいる。ナチス政権下の暗い時代にも抵抗の精神があったということが、輝かしいこととして、希望として語られている。

「日本だけテラ一本線www」だなんだというのは幻想にすぎないと思うけど、幻想でなかったとしても結構なことでもなんでもない。なぜ日本は戦時下の弾圧犠牲者の名誉回復すらできないのか? それはもちろん、国体が連続しているからです*3横浜事件に関して言えば、反共主義の立場にも関わっていますが、この「国体の連続」と「反共主義」は極めて密接な関係があります。

過去の「独裁主義」であるところの「軍閥政治」と分離することによって、ヒロヒトの戦争責任を免責した「日米談合象徴天皇制民主主義」体制の中で、戦後賠償における贖罪の契機を国民的な規模で欠落させ、戦後的貧しさという「野蛮」から脱け出すことがあたかも「民主主義」化であるかのように装われた。その気分を中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国に対する「反共主義」が下支えしたことによって、実践的に植民地侵略と侵略戦争を担った「国民」一人ひとりの責任が、その背後で免責されてしまったのである。

(中略)

実践的には、自分の周辺にいる「共産主義」者=「赤」を「非国民」として摘発、排除、差別していく行動は、すでに20年間つづいてきた治安維持法下の生活慣習に、数年ぶりに戻ることにすぎなかった。レッド・パージ下で「共産主義」者を摘発、排除することは、「獄中」何年、「亡命」何年という形で、過去の「独裁主義」と闘った「英雄」というイメージを付与された数人の指導者の名の下に、数年前から一気に時代の寵児になったかのような「共産党員」に対する「一般の日本人」のルサンチマンの発動でもあった。*4

ポストコロニアル (思考のフロンティア)

ポストコロニアル (思考のフロンティア)


横浜事件とだいぶ話がそれましたけど、横浜事件が再び「免訴」になり、司法からなんのけじめも見いだせないとすれば、日本の「戦後」は終わったどころかまだ始まってもいないのではないでしょうか? だとすれば、各々市民が政治的主体性をもち、自ら「抵抗者」となって本当の「戦後」をもたらさねばならないのではないか、そんなことを思いました。逆賊であることが誇りになる歴史的瞬間というのがあるとすれば、ナチス政権下のドイツはそうだったのかもしれない。日本では逆賊はずっと逆賊ですね。これが「テラ一本線」であることの意味なら、それを喜ぶことは「帝国臣民」であることを喜ぶのと同じことです。*5

*1:強調は引用者

*2:参考:http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/d6c8375fc66c3a747dae25cc57aa0af1

*3:日本国憲法第1章第1条において、「国民主権」が「象徴天皇制」とべったりくっついて規定されているのはすごく象徴的

*4:小森陽一ポストコロニアル岩波書店,p118-120

*5:本心から嬉しくて仕方がないのかもしれませんが