息を吐くように差別する人とか

息を吐くように・・・サベツ


「息を吐くように」でgoogle検索するだけでいっぱいでてくる。


それはともかく、品行方正で良識的な人は無作法を嫌い、こういうことを言ったりする。
曰く、「電車の中で中国人の集団に出くわした。大騒ぎしててうるさかった。奴らにはマナーがなくてダメだ。」

自身の品行方正信奉と表裏一体となって、「迷惑に感じた」振る舞い一つで全人格的な評価を下すばかりか、人種差別的なことまで漏らしてしまう。日本人の民度の高さってこういうことなのかね。

帰納的に国民性を判断しているだけだとか言うのはナシだからね!

そして、まったく同じことが、ニューオーリンズの略奪にも当てはまる。たとえ暴力や強姦についての「全ての」噂が実際に真実であることがわかったとしても、彼らを取り巻く噂はまだ「病理的」であり人種差別主義的なものだ。なぜから、これらのストーリーを動機付けたものは、事実ではなく人種差別的な偏見――「見てごらん、黒人は本当はこのような、文明の薄い皮を被っただけの狂暴な野蛮人なんだ!」と言うことが出来た人々が感じた満足感――であるからだ。

 別の言葉で言うなら、我々が取り扱おうとしているものは「真実の装いで虚偽を伝える」ことである。たとえ言っていることが実際に真実であるとしても、それを言わせる動機は間違ったものなのだ。
http://d.hatena.ne.jp/flurry/18001024

この文章は邦訳も出版されてます。

規範的であるということの罪


また、規範的であるということが「規範的でないこと」への蔑視を含むなら、自分が規範的な存在たりうること自体に罪の意識を感じてもいいかもしれない。例えば、大卒で異性愛者で男性でヤマトンチュで正規雇用でおまけに自民党支持みたいな存在は、普通に生活してるだけで植民地的抑圧の暴力主体になってるかもしれない。これは大問題なのでそのうち書きたい。(書けたら)

いずれにせよ、例えば沖縄の問題に対して、自分自身を「ヤマトンチュ」などと表現してみせる胡散臭さには敏感であるべきだと思った。ウチナーンチュでない以上、自身を沖縄の言葉で指し示すこともできないはずだ。欺瞞的に敵対性を乗り越えようとしても、抑圧する側であったということを帳消しにはできない。

とてつもない日本とかいうろくでもない動画


こんな愚劣な風習を輸出した上に、褒められた気になって悦に入るとか勘弁して欲しいわ。
7:45から8:00まで不当に拘束してるのはいいの? あたまおかしいんじゃないの?
http://d.hatena.ne.jp/Romance/20080708#p1