野蛮で残酷な日本的茶番


フィレンツェの大聖堂に学生が落書きしたとかなんとかいうニュースが繰り返し報じられていますが、この騒動を記念して、大聖堂側が学校名入りの銘板をこさえてくれるそうです。

大聖堂の事務局長は「謝罪訪問という勇気ある行動に感銘を受けた。寄付金で落書きを消した個所に、学校名入りのタグ(銘板)を作りたい」との意向を示したという。

(中略)

大聖堂の事務局長とともに面会に応じたフィレンツェ市の副市長は「文化を大切にする日本人の意思と厳しい態度に考えさせられた」と話したという。
http://www.asahi.com/national/update/0710/NGY200807100015.html


大聖堂に落書きをした学生たちに対しては国民的とも言っていいほどの非難の声が挙りました。当初短大側が厳重注意処分にしたことに対して、「甘すぎる。停学でもいいのではないか。」との意見が寄せられ、また別の大学では停学処分にしたものの……

一方、学生3人が落書きしていた京都産業大学では、27日に2週間の停学処分にした。処分だけみると岐阜の短大より重いものの、そんな同大にも、数百件の意見が相次いだ。それも、「停学では軽過ぎる」「退学にしろ」と、大学の対応について叱る声が多数だったというのだ。これに対して、同大では、学生らに対し、カウンセラーによる再発防止のための再教育を行うほか、現地へ行ってもらうことを検討している。
http://www.j-cast.com/2008/06/30022720.html


「極東の礼節の国」からの珍客、「文化を大切にする日本人」の記憶は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の壁面、落書きだらけの壁面の隅に銘板として残されることになりました。真心こめた謝罪は世界共通なんだなぁ、向こうも謝罪を受け入れてくれたし一件落着かな?


……そんなわけない。


実ははじめから大聖堂側の意向なんかはどうでもいいのです。日本人は大聖堂の管理者に申し訳ないと思っているわけでもなければ、「文化を大切に」しているわけでもありません。*1ついでに言えば、わざわざフィレンツェに学長連れで再訪して謝罪したというけど、別に大聖堂の事務局長やその他フィレンツェ市の連中に謝ったわけではないのです。じゃあ日本人は何を大切にし、学生たちは何を傷つけ、誰に謝ったのか?

ていうか、これで怒ってる人ってホントに文化財とか世界遺産が大事だから怒ってるとは思えないところがあるんだよなー。要するに「日本の恥」だからでしょ?道徳的にちょっとでもキズがあると、もう「世間に顔むけできない」みたいな感性こそどうにかしてほしいよ。当事者でも何でもない上に文化財に関心があるわけでもなさそう人が、なんでここまで怒らなきゃいけないのか。規範をちょっとでも踏み外した人は、安心して叩けるとでも思ってるのか。
道徳的潔癖症 - good2nd


そう! 学生たちの落書きは日本的感性では「非道徳」であり、外国の地で日本人らしからぬ非道徳を働いた「日本の恥」学生たちは、「反省しています。罪を恥じています。だからまた仲間に入れてください」と日本人に謝ったのです。だから、大聖堂の壁面に銘板が輝く日が来ても、学生たちはフィレンツェ市民に許されても日本人に許されなきゃ意味ないのです。じゃあ、かくも日本人を怒らせた「非道徳」とは一体なんなのか? 20歳そこそこの学生たちに停学や退学を迫り、新婚旅行で落書きを残していた野球部監督を特定し吊るし上げた挙げ句、高野連の介入を招き監督解任のペナルティまで与えた大騒動。この騒動を突き動かしたのは本当に道徳なのか? そもそも日本人の道徳って何なの?

私はここに、道徳と称すのもはばかられるような、しかしあまりに日本的な価値観があるように思います。

端的に言って、日本人はどうしようもなく権威主義なのです。日本人に、日本人的という意味での連帯意識があるとすれば、「権威の前の卑小な個人」という意識、その卑小さとしての同質性のみがあるのだ、と言ってもいいほどです。大聖堂がフィレンツェ市民の祈りの場だったかどうかなんて大した問題ではありません。ただその建物に、世界遺産のすげえ建築物という権威の裏付けがあるかどうかというだけです。もはや、学生たちがしたことが落書きであって、他にも落書きがいっぱいあったなんていうことすらもうどうでもいいのです。肝心なのは、学生たちが「権威の前で己の卑小さをわきまえなかった」という点に尽きます。実際は現地でマジックが売られてたのだから、当の学生たちや野球部監督が「サンタマリアなんちゃら大聖堂」という権威を前にリラックスしたところでそこに悪辣な意図は全くないだろうし、落書きを「過失」というのも言い過ぎに思えます。しかし過失としたところで、権威に対しては過失も許されないのです。

昭和時代の最初の二十年間には、神になった天皇がまれに民情視察に出る場合、それは内務省や地方官庁にとって最大限の入念な準備を要し、ひとつの人為的なミスも許されない重大な行事であった。もし失敗があれば結果は悲劇的なものになった。一例をあげれば、1934年11月16日、群馬県の桐生で、天皇の鹵簿を先導するオートバイの警官が、ある信号で左折するところを直進してしまい、巡幸の行程をわずかに狂わせたことがあった。過ちを犯した警官は七日後に自殺を図り、群馬県知事と行幸担当の高官は懲戒などの処分を受け、県の警察官僚は二ヶ月の減給となり、内務大臣は議会で厳しく責任を追及された。*2

昭和天皇(上) (講談社学術文庫)

昭和天皇(上) (講談社学術文庫)

昭和天皇誤導事件(しょうわてんのうごどうじけん)とは、1934年(昭和9年)に群馬県で行われた陸軍大演習において、視察に訪れた昭和天皇一行の先導をしていた警部が「緊張のあまり」道を誤ってしまい、一時天皇一行が行方不明になったと大騒ぎになった警察の失態事件である。前代未聞の事態であったため関係者が処分されたが、先導していた警部の1人が責任を取って自決を図り、当時は「よくぞ責任を取ってくれた」と賞賛する声が挙がったという。また事件名を「昭和天皇一行行方不明事件」もしくは、「桐生鹵簿誤導事件」とも呼ぶ(「鹵簿」は行幸の行列のこと)。
昭和天皇誤導事件 - Wikipedia


左折するところを直進しただけで大騒動となり、先導していた警部が自殺まで図るという悲劇。ハーバート・ビックスは、戦前日本に天皇を中心とした国家主義が育っていく中でのグロテスクな一側面としてこのエピソードを挿入しています。しかし、この「昭和天皇誤導事件」も、(警部の自殺未遂が賞賛されたというところも含め)今日の日本においてさほど特異な印象も与えずに受け入れられるのではないか? 「女子短大生フィレンツェ世界遺産落書き事件」への噴き上がりは、この「戦前」的価値観がなおも健在であることを感じさせます。そして、もしこれが現代においても日本人の道徳と称されるのなら、戦後はおろか戦前も終わってないのだなあと思います。いずれにせよ、この騒動自体とても気持ち悪いです。

事件後、本多警部は自宅謹慎していたが、県当局は自決を心配し部下2人を監視に付かせていたという。しかし、昭和天皇一行を乗せたお召し列車前橋駅を出発する時刻が迫った時、本多警部は部下や家人を見送りに行けと命令し、その間に自決を図ったのであった。一命を取り止めたものの後遺症は重大で、舌の筋肉が切断されたため、会話に支障が出る状態になった上に、食道と気道が癒着してしまい、食事をするのも難しい状態になった。彼は全国からの賞賛の声に励まされ、「もう1度天皇陛下のために生きる」決心をしたという。
昭和天皇誤導事件 - Wikipedia


自殺に追い込んでおいて、失敗したら失敗したで賞賛するという残酷な茶番。各地に植えられた裕仁行幸の記念樹は同時に、権威主義者たちの過剰な抑圧と緊張による幾多の茶番をも記念しているのだろう。大聖堂に取り付けられる銘板と21世紀日本の茶番。そこには道徳も文化もない。ただ権威に盲従する「民度の高い」野蛮人どもの顔が映るだけ。「礼節の国」日本の記念に、永久に貼っつけといてもらえばいい。

*1:実のところ文化なんて大切にしていないということについては、id:hokusyuさんのエントリを参照→「落書き」は文化を破壊しているか?

*2:ハーバート・ビックス『昭和天皇(上)』講談社学術文庫,p221