多数決の暴力と空気の暴力

アレックスの担任教師がクラスメート間でアレックスの評判が悪いことを聞き、クラスから追放するかどうか投票を行った結果、14対2の賛成多数でアレックス君は追放される事になりました。まだ診断中ですが、アレックス君は対人関係の障害が特徴とされるアスペルガー症候群の兆候があり、しばしば反社会的行動を起こすことがあったようです。

アレックス君の母親は告訴しようとしましたが、情緒的な児童虐待の基準を満たさないため、告訴は難しいそうです。個人の人権よりも、公共の利益を優先するということでしょうか。

アレックス君は自覚症状が無いため非常にショックを受けていたようですが、その後幼稚園に来ることはなかったとの事。

http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080527_asperger_boy_banishment/



ひどいニュース。*1


ひどいニュースではあるものの、海の向こうの異常な国とかそういう解釈はありえない。この件では投票による多数決で「不快感」を裏付け児童を排除したわけだけど、日本での典型的なパターンだと、他の児童の父母からの苦情を受けた幼稚園側が「うちの園には専門家もいないし、他の園児に迷惑がかかるから」と退園を迫る。多数決とかそういう民主主義的手法を用いて児童を追い込むというのはあまりにも醜悪なやり方だけど、日本では投票よりも「空気を読む/読ませる」かたちで、敵対性をあらわにしまいとしながら「でもねぇうちではムリなんですよ」で決着をつける。どっちもひどい。が、私はこの日本方式の、欺瞞的に「排除の論理」の傲岸さを取り繕う側面がとにかくとても嫌い。


というのも、排除される発達障碍児本人の弱者性は全く顧みず、とりあえず発達障碍児を「モンスター化」した上で、周囲の園児とその家族が、「ごく普通の幼稚園生活を送ることができない」ことにおいて「(自分たちの)弱者性」を強調し、迷惑行為の被害者として救済を求める構図が出来上がる。「迷惑行為の被害者」と主張することで「弱者よりもより弱い位置」に潜り込み、排除という強権をある種の「弱者利権」として享受/行使するわけだ。この極めて欺瞞的なシステムは発達障碍児排除云々に限って見られるわけではない。不快感至上主義者がなにも考えずに実行できる程に慣れきってるいつものやり口。品行方正な自称良識派のお歴々は、普段は「弱者利権」なるものが不当に配分されていないか目を光らせるのに、「私は迷惑だ」とお上に救済を求めることにはなんの躊躇もない。いつも書いてることの繰り返しになってきたけど、現代日本でいわゆる「道徳的退廃」と呼ばれているあれこれ*2のほとんど全ては、こうした道徳的自己欺瞞がまさに良識的態度などと取り違えられていることに発しているのだと思う。*3


話がそれたけど、発達障害児のことで言えば、発達障害者支援法ができたことで、特別支援学級/学校に振り分ける*4流れが強まった。はっきり言ってこの手法は時代遅れなんだけど、日本はこのひどいニュースよりもスマートかつ洗練された手法で児童を追放できるようになっているというわけ。ひどい、ひどすぎる。*5

*1:GIGAZINEの記事だとわざわざ「セントルイス」でWikipediaにリンク貼ってるけど、元記事にはPort St. Lucieって書いてあるから、ミズーリ州セントルイスじゃないし、そもそも「ルイス」じゃないじゃん!

*2:マナー悪いとかなにが未納だとかいろいろ

*3:どのように発してるのかはまだまとめられない

*4:もちろん排除・追放・制限である

*5:さいたまのまんじゅう