反貧困フェスタ

昨日、「反貧困フェスタ」というイベントが神保町であったので行ってきました。


以前日記に書いたけど、生田武志という人が書いたちくま新書「ルポ最底辺」という本を去年たまたま読んだら衝撃を受けて、この本読んだのをきっかけに、野宿者支援活動にも参加するようになったし、そういう意味では人生を変えてくれた一冊。


話はそれるけど、以前から多数派的な意見、「思いやりの心を持ってマナーを大切に」とか「空気を読め」とかそういうものへの違和感が強く、良識的言説にはひどく醜悪な契機が隠されているのではないか? というのが私の個人的な研究テーマだった。
それがどういう具合に野宿者問題と接続したのかは話すと長くなるんだけど、いずれにせよ、野宿者支援活動は自分の問題意識からしてもとても重要な一面を担ってるから、今後も深入りしていきたいと思いつつ。


さらに最近思ったのが、ネオリベラリズムの潮流に抵抗するという前提があったとしても、そこで「希望は、戦争」と言ってみたり、レーニン論で革命を訴えたりしてみてもダメだと思うんだよね。
そういうセンセーショナルな言辞は結局、そのセンセーショナリズムゆえに商品化されて、思想市場とでもいうべき状況の中で粛々と消費されちゃう。

もちろんレーニンの研究も重要で意義あることだろうし、『未完のレーニン』の著者が本気で革命とか言ってるのか知らないけど、イデオロギー対立をしかけられる時代はもう終わったのであって、左とか右とか言ったってそんなものは紅白歌合戦みたいなどうでもいい対決になってきてる気がする。


まあ今はとても幼稚で愚劣な「右」が湧いてきてるから、「左」の復権をするのはそれはそれで必要なことかもしれないけど……。


とにかく、ネオリベに真っ向から刃向かったところで、その刃向かう仕草を面白がられて商品化されてついには国際文化会館とかいう薩長閨閥華族どもが結集した財団法人がアントニオ・ネグリを招聘するなんて寒々しい事態になるわけで、今やるべきことは愚直に、現体制が内包してる問題点を明らかにしながら、草の根的に抵抗の声を上げることだと思う。
アドルノとかデリダ以後に革命を語るいかがわしさって言うのがあると思うんだよね。
まあ革命ができるものなら、日下公人とか渡部昇一あたりを真っ先に断頭台にかけたいんだが、そんなこと言ってちゃダメだしw
そんなわけで、地道な野宿者支援活動も、自分なりの抵抗運動として位置づけることができるような気がしてきたというわけ。


話は戻って「反貧困フェスタ」だけど、天気もよくて、会場の中学校の校庭には桜の木もあって、そこでつきたてのお餅食べたりしてとても楽しかった。
健康診断、法律相談、屋台の食べ物も(一部)無料提供で、イベントの趣旨に本気なところがすごい。(実際、雨宮×廣瀬対談で、家賃無料化運動の話も出てたし)


実際には、無料のものは常に行列だったから食べられなかったけど、無料じゃないのも50円とか安かった。実はタダで飲める酒も置いてあったみたいだけど、あんまり盛り上がってなかった。気づかれてなかったのか??
本当は花見気分でお酒飲みたいと思ったけど、飲んだら寝ちゃうのでやめた。


まず、会場着いて体育館「雨宮処凛×廣瀬純」を聞いて、途中退席。
フリーターズフリーのブースに生田武志さんがいたので、「ルポ最底辺」読んで人生変わりましたありがとうみたく挨拶しといた。その後生田氏の講演があり、映画上映でも観ようかと思ったけど、プログラムの上映予定とは違ってなぜかNHKの「ワーキングプア」がやってたので、テレビで見たけどまた見る。
本当は映画が見たかったのに見られず残念。


最後に「海外特派員が見た日本の貧困」というシンポジウムへ。
韓国、ドイツ、イギリスのテレビ局とか新聞社の特派員が、日本国内の貧困問題についての報道とか反応が、それぞれの国と比べてどうか? というテーマ。
とても興味深かったわー。


なんでこのテーマでフランス人がいないんだよ、っていうのは不満だったけど、韓国では貧困問題は共同体の課題だと認識されているということとか、イギリスのインデペンデント紙に日本の累犯障害者の問題を記事で載せたところ、「そんなクレイジーな国があるのか」という反応があったこととか、ふーんと思った。


実際、累犯障害者の問題なんて、日本の人権感覚が鼻糞以下だということの証左だから、もっと大々的に問題にして欲しい。海外でも国内でも。


あと、ヨーロッパにも「自己責任論による弱者叩き」があるのかという質問が出てたけど、いまいちズレた回答だったのでその辺がよくわからず。