差別問題としてのホームレス問題


※このエントリは、「2008-08-30 -図書館がホームレス排除に苦心しているとかいう件についての私からの提案」にいただいたコメント、ブックマークなどへの応答です。

※応答だけど面倒なのでidコールとかしません。

はじめに


「図書館をシェルター化するのは反対」「図書館に何でもかんでも担わせるのはおかしい」といったようなコメントがありましたが、これは私の書き方がまずかったところもあり反省しています。私は、図書館員にホームレス自立支援をさせろと言っているわけではなく、福祉職員なり支援団体がやってきて図書館という場を活用すればいいじゃないか、と言っているだけです。すでにそういう窓口がある、とか、別の施設を、という意見もありましたが、もちろん窓口も施設もすでにあります。それを周知するためにも活用できるじゃないか、ということです。まあそれ以上の意味もあるんですが、それは追々述べていきます。また、私は「ホームレスは図書館を利用して良い」を自明のこととみなしています。公共施設だからです。ここについては、id:Arisan氏のエントリに完全同意です。また、先日の【追記2】で挙げたものの他には、id:hokusyu氏のエントリも参照するといいと思います。

差別意識の垂れ流し


一応断っておきますが、先のエントリは、ホームレスに人権があることを前提としており、彼らがホームレス状態であるがために、彼らの生存権、つまり「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が危機に瀕しているなら、それを確保するためになんらかの対策が社会として必要だということまでも前提としています。「ホームレスに人権があることを前提としており」なんて書くのもバカバカしいですが、この前提を共有できてない人がブコメにもトラバにもいたようです。既存の価値観にとらわれない冒険的な知性を自認する方が「人権概念そのものの自明性を疑ってみる」のは勝手ですが、あまりにも程度の低いのを相手にして、またid:fromdusktildawnさんに「叩きやすいのを叩いて気持ちよくなってる」とか言われても困るので、本エントリでもそこの自明性は前提にして話を進めます。

そして、「ホームレスには人権がない」とまでは言わないまでも、ホームレスに対する無理解と偏見、その帰結としての差別心を露呈してしまっている人は多いですね。「ホームレスという属性を差別しているわけではない、ただ臭いのは迷惑なんだ」というやつです。

例えば、悪臭を伴う皮膚病*1にかかっていた人がいたとしましょう。「彼らは臭い、だから、公共施設を利用するべきではない。」と言うでしょうか? いやしかしいるようです。「理想論」とか「きっとホームレスを見たことがないのでしょう」とかいうブコメがありますが、この人たちの言っていることはこういうことです。

「臭いからといって病気の人に図書館を使わせないのはおかしいよ」
「うん、私もそう思う」

「いや、それは理想論だな。あいつらは本当に臭いぞ。目を刺すような悪臭。悪臭は暴力だよ。あんなのが来たら図書館が図書館として機能しなくなるよ。実際匂ってみてから言えよ。」

こういうことを書いて、本当に「そうか、病人に対しても権利を制限すべきだな」となってしまう人がいるかもしれないし、また実際、皮膚疾患に限らず多くの病気について患者たちは偏見によって差別され、諸権利を侵害されています。しかし、このような「病気への差別」が人権問題として浮上したときには、ちゃんと建前が勝利します。アイレディース宮殿黒川温泉ホテルのハンセン病元患者宿泊拒否事件を思い起こしてください。あの問題が起きたときに、「いや実際ハンセン病の連中は○○だよ」といったような実体験とやらに基づいて、「ハンセン病元患者たちとの共存」という理想を、「理想論だ」と一蹴した人がいたでしょうか?*2

しかしこういう声が聞こえてきます。
ホームレスは病気と違って自己責任だろ? 病人と一緒にするなんておまえ問題発言だぞ?

ここで「うんうんそうだよな」と感じた人はいなかったでしょうか。しかし実はこうした発言にこそ、ホームレスに対する無理解と偏見、差別心が凝縮されているのです。つまり、病気は一種の災いであって人格とは関係がない。しかし、ホームレスのように経済的に転落した人には、本人に帰すべき責任がある。市場において彼らが敗れたのは、低劣な人格と無能力、そして無作法のゆえである。と。そうした低劣な存在と病苦に苦しむ「かわいそうな人」を並べ置くとは何事だ。と。

これこそがホームレスに対する偏見なのです。これは端的に差別です。

彼らは様々な事情から経済的に困窮し、家を失って路上で寝ています。しかしそれでも、私たちの間に、この社会に生まれた人間なのです。なぜ差別するんですか?

これがホームレスの典型だ、というのではなく、あえて悲惨なケースを選びましょう。生まれ育ちに恵まれず、教育の機会は多少あったもののあまり身には付かなかった。酒を覚えギャンブルを覚え、日雇い仕事で得た収入も全て飲むか博打で使ってしまう。いわゆる「社会常識」というのもあまり身に付いていない。酔っぱらって駅のホームで大声を出すこともある。窃盗で捕まったこともある。もう60近い。仕事にもあぶれるようになってきた。でも仲間からの差し入れで酒は飲めている。酒の飲み過ぎで病気になったようだ。飲んで寝るとすぐに小便を漏らしてしまう。これまでの人生、知人からの紹介で正社員になったこともあった、でもなんだか気に入らないので数日で逃げてきてしまった。親切な知人の顔も潰した。家族とも音信不通だ。まあいい、今夜はここで寝よう……。

あなたがある日駅前でみかけたホームレスは、もしかしたら↑こういう人かもしれない。確かに判断ミスもあった。立派な社会人とはいえない。社会でうまくやっていくだけの技量も能力もマナーもないのかもしれない。なるほど路上で寝ているのも自己責任かもしれない。だったら彼は「人間以下」なんですか? 路上で一人凍え死んでも仕方ないんですか? 日本社会というのは厳しいところだから、彼が死ぬのもやむなしなんですか? 実際その通りのようです。路上死は珍しいことではない。日本は路上でも食っていける豊かな国ではありません。しかし私はそうではないと思います。つまり彼らは「人間以下」などでは断じてない。人が誰からも助けを得られず、福祉からも漏れ、路上で死ぬ。これが問題じゃなかったら何が問題なんですか?

ところで、多くの人が、「ホームレス=臭い」と思っているようですね。私が「図書館から排除すべきではない」と主張しただけで、「図書館の機能が失われる」ところまで想像を飛躍させた人たちはみなそうなんでしょう。清潔にしているホームレスも沢山いるんですが、まあそれはいい。それほどまでに「ホームレス=衛生状態が悪い」という確信をお持ちなら、ホームレスという境遇自体に「衛生状態を保つことが困難である」という要件が含まれていると当然了解しているわけですよね。なぜそうでありながら「臭いものは臭い」「不快なものは不快」と言い張れるのですか? 「清潔な状態を保ち得ない事情がある」ということの了解があるのに、なぜそこを勘案してあげないんですか? ある種の皮膚疾患に悪臭と抜き難い因果関係があったときに、その患者に対して「臭いものは臭い」「不快なものは不快」と胸を張って言えますか? 自分のはてなidを晒して、「あいつらが座った椅子は異臭がとれない」と言い放てますか? もちろん、ある種の棲み分けというような議論がなされていく余地はあるかもしれない。しかし、「臭い」ということの表明一つとっても、ホームレス相手だと躊躇がなさすぎやしませんか? これは一様に差別です。誤解しないでください。「図書館に臭い人がいるのは嫌だなあ」というのは、とりあえず差別ではありません。しかし、「図書館はホームレスを排除すべきではない」という主張から、「その理想はわかるけど、そうすると(悪臭ゆえに)図書館が図書館として機能しなくなる」にすぐさま結びつけ、その予測をあっけらかんと表明してはばからないのは、ホームレスに対する差別心があるからです。ホームレスという属性全体に指をさして「臭い!」「おまえたちは不快だ」「おまえたちがいると利用客は出て行ってしまう」と平気で表明できる点で、それは差別なのです。もし仮に、それらが全て事実だったとしてもです。

しかし、私は差別糾弾をして言葉遣いを改めよと言いたいわけではありません。議論の場に婉曲な表現を強制したいわけでもありません。しかし、割と脊髄反射的に書き込まれるだろうブクマコメにおいて、「でも実際悪臭きついよ><」レベルで反応してしまっている人の多くは、無自覚のうちにホームレスを差別しているということは指摘しておきます。*3そして、それを指摘した上で、ブクマしてくれたみなさん以上に、世間には差別心があふれているのかもしれないと思います。となれば当然、「本当に効果的な提案をするなら、差別とか言い立てるよりも、その差別心と向き合わないままで済むような解決策を考えようよ」という立場が出てくるでしょう。私はこの意見には(増田風に言うと)半分賛成・半分反対です。つまり、うまい解決方法を考えると同時に、ホームレスに対する偏見をなくすような運動をしていくべきです。実はこの点についても、私の提案の中で軽く触れていました。「ホームレスとそうでない人たちの交流の場として」というのがそれです。

私がイメージしていたのは、子ども相手にホームレスとのおはなし会的なものを開くようなことです。図書館でも児童書コーナーに力を入れているところは、紙芝居や大型絵本の読み聞かせができるようなスペースを持ってるところがありますよね。そういうところで実施すればなんの投資もいりません。ホームレスのおっちゃんがただ子ども相手に自分の話を聞かせるだけです。それだけでも、子どもたちは瞬時に、ホームレスは『あの人たちを見ちゃダメ!』なモンスターなどではなく、ただのおっちゃんなんだということを悟るはずです。もちろんこれには準備が必要だし、実際に子どもたちに来てもらうのには創意が必要と思いますが。

まあ、そんなようなところで、私としてはホームレスに対する偏見・差別を少しずつなくしていく方法はあると考えています。実はこのへんのアイデア川崎市の事例を参照しています。もっと具体的に資料名引用したりして紹介すべきなんですが、正確に紹介するのはちょっと現時点の私の手に余るので、そのうち書けたら書きたいと思います。

シャワー室と洗濯機/別の施設を


差別云々は抜きにして、「ホームレスだろうがなかろうが悪臭はどうにかすべきだ」というコメントもありました。まず、それが「ホームレスだろうがなかろうが悪臭は排除すべきだ」なら、当然賛同できません。なぜなら、衛生状態が悪ければ、ホームレスも利用できなくなってしまうからです。そこで「シャワーを浴びてもらう」になるわけですが、現実的にはおかしいと思います。id:zarudora氏のエントリのみたく、状況を思い浮かべてみましょう。

Aさんは数日前の新聞を読みに行くのか、予約していた本を受け取りに行くのか、とにかくまあ図書館に行きます。Aさんが今着ているシャツは、じめじめした気候のためか、生乾きの雑巾のような不快臭がしています。図書館に入ると程なくして、職員に「ちょっとすみませんこちらへどうぞ」「お客様の匂いに苦情が出ています。幸い、当図書館はシャワーも洗濯機も完備しています。洗濯中に着る浴衣も貸し出しています。退出するか、洗濯するかどちらかにしてください。」

あるいは、Aさんはその日、うっかり歯を磨かなかった。

「お客様の口臭に苦情が出ています。歯ブラシを用意していますので、退出するか歯を磨くかどちらかにしてください。」

こんなことを言われたら結局退出するんじゃないですか? つまり、そんな設備を用意したところで、結局「公平性の演出」に使われるだけじゃないですか?
っていうか、図書館側にこんな選択を迫る権利があるんでしょうか? そもそも。

とはいえ、こういうことを言われたときに「おおそうかい。悪かったね」と鷹揚に構え、笑顔で言うことを聞いてくれる人ばっかりだったらどんなにいい世の中かと思いますよ。もし、日本社会が寛容性にあふれ、図書館員が「くさい利用者」に声をかけに行くとき、いささかも緊張せずにいられるような世の中なら、そもそもあなたはいないんじゃないですか? いろんな人が集まる公共空間に出かけて行っておきながら、臭くて不快だということを理由に、他人に入浴や洗濯を強制することになんの疑問も抱かない不寛容なあなたは。

不快感至上主義者の最も愚かな点は、自分の不快感を重視しながら、他人の不快感に全く想像力が働かないことです。ここで要請される格率は、「他人を思いやること」だけです。他人に「自分を思いやれ」というのではなく。です。他者を許容するという立場を常に志向するからこそ、あなたがもし仮に「許容し得ない不快感」に出会った時に、それに抗議することすらも可能になるのです。このへんのことはマナーポスター関連のエントリでいろいろ書いてますので省略します……。


また、「ホームレスの問題は図書館とは本来関係ないのだから、別の施設で対応するべきだ」というのは、ホームレス対策に対する根本的な無理解に基づいています。箱モノはすでにあります。問題は、その施設なり何なりにどうホームレスをつなげ、定着させるかなのです。そのためには、個別に対応し、個人個人ごとの問題点(アルコール依存症ギャンブル依存症/病気/借金/精神疾患など)に向き合いつつ、持続可能な関係性の中での自立までもをケアすることが必要です。先日の私のエントリ「屋根があればいいのか/ホームレスに女性が少ないという話」のコメント欄にも、こんな意見がありました。

行政コストとしては大して掛からない(だろう)物が、長らく放置されているわけですよね。しかしホームレスが即座の経済的救済を必要する事は明らかですから、ことこの問題について、個別の事情を斟酌する事は二の次三の次の問題じゃないかと思うんです。貧乏人だろうと金持ちだろうと善良な市民だろうと犯罪者だろうと、路上で血を流して倒れていたら119番。それと同じです。

一見正しいことを言っているようですが、実は全然ダメなのです。生活保護と住居をあてがうだけでは、ホームレスはまた路上に戻ってくるのです。なぜ? 最初に路上に出たときの原因が全く解決していないからです。このへんのことも、別エントリで書けたら書きます。


ところで、私は実は、もし路上でも生存権を保障することが可能なら、ホームレスはホームレスのままでもいいんじゃないかと密かに思ってるんですが、長くなりすぎたのでとりあえず終わります。

*1:話がややこしくなるので伝染性はないという仮定で

*2:まあいただろうなとも思うわけですが。

*3:むしろ差別していないから率直に言えるんだ。というのは詭弁です。先に言っときますけど