「組に分かれず」だと??

R25というフリーペーパーの巻末のコラムが好きで、いつも楽しみに読んでたんだけど、先週号から執筆者が変わった。

新しい執筆者は石田衣良なので、いままでより有名な人になったわけだけど、第1回のテーマは「組に分かれず」だった。

曰く、人間はゴミじゃないんだから「勝ち組」とか「負け組」とかそういうバカバカしい分別はつけられない。誰だって勝ったり負けたりの局面はあるんだし、たった一度の人生、「今」を大切に、自分なりにベストを尽くしなさい。といった内容だった。

こういう主張は別段珍しくもないし、何度聞いても「そうだよなぁ、ベストを尽くせっていい言葉だよなぁ」といったもんで、誰も否定できないくらいの正論。R25の巻末に載せるにはうってつけのいい文章だったと思う。

でも、20代フリーターからしてみれば、「勝ちも負けもないって、そんなもの勝ち組のアナタだから言えるんでしょ。」とも思う。というのも、勝ち負けにこだわらない態度を取るには、「とりあえず当面は負けない」だけの余裕が必要だから。もちろん経済的な意味で。

世間一般で良く言われていることだけど、日本は大半を占めていた中流層が崩壊して、大金持ちと貧乏人の二極化が進んでるらしい。「勝ち組」とかその手の言葉がよく聞かれるようになったのは、そういう傾向を反映してのことだ。そして思うんだけど、経済的な「勝ち負け」というのはそう単純に相対化して、「勝ち負けにこだわってる奴はハッピーになれない」とかいう問題ではないのでは?

現代社会に生きている以上、血管の中にお金が流れていない人はいないと思う。人間は生命過程を維持するために食事と屋根が必要で、そのためにはお金が必要。

とりあえず沖縄まで行けば、屋根がなくても凍えて死ぬことはないし、お腹が空いたら木の実が落ちてくるかもしれない。

けど、そううまくはいかない。
経済的に敗北して、毎月借金でその日暮らしだったら、早晩破綻することはだれでもわかる。「経済的に負けたけど心は豊か」な暮らしなんて、宗教にでも入るのか。財産の私有を放棄。それもいいかも?? でも出家っていうのは古来、死んだのと同じだからね。

まあ、「組に分かれず」の主張は、「勝ち組負け組とかそういう分別つけて分かったような気になってないで、そんなことでクヨクヨしてる暇があるなら自分の人生を頑張れ」ってことだから、誰も「負けてもいいじゃん」的なことは言ってないんだけど。

でも、勝ちにこだわらないとダメ。一度きりの人生で、命をかけた勝負なんだから。