眠い人をムリヤリ起こすのもハラスメントと思う


これ読んだ。
Togetter - まとめ「飲めない人は飲めない理由をきちんと説明すべき。学生じゃなくて社会人なんだから」
http://togetter.com/li/32911


私も学生のときの健康診断でパッチテスト?とかいうのやったけど、貼ってすぐ腕から首まで赤くなって「めっちゃ弱いので気をつけて」みたく言われました。でもすぐ赤くなるからそこまでアルハラ経験ないです。分解しないから赤くもならないってほんとつらいかもですね……。 アルハラこわい。あと、お酒飲むとすぐに眠くなっちゃうタイプなんですが、飲み会で寝かせてくれない人いたりすると本当につらいです。仕事関係とかそういうのじゃなくて、遊び仲間的なカジュアル飲みでも、寝てると「寝るとかありえないからw」とか言ってからだ触って起こしてくるやつたまにいて本当にむかつく。。。眠りに入っているときに妨害されるとか殺したいくらいうざいです。


お酒飲んで眠くなっても寝かせてくれないけど、昼間眠くなってもなかなか寝られないです。 以前の職場で(今も)よく居眠りしてたんだけど、となりの席の人が書類であたま叩くとかすごく乱暴な方法で毎回起こしてきて本当にふゆかいでした。おしゃべりとかする分には楽しいし結構好きな人だったんだけど、起こされるときは瞬間的にものすごい憎悪を抱いてましたね。 でも抗議すると「仕事中に寝てる方がわるい」となってしまって、「なに? 逆ギレ?」みたいな感じで憎悪は募るばかり……。


これ冒頭の「社会人なんだから飲めない理由をきちんと説明すべき」に似てるけどもっとひどいかも。「ねむい理由は人それぞれあるけど寝ることは許されてない」みたいな感じと思う。たしかに、仕事しないで一日中ずっと寝てる人を歓迎する経営者なんていないと思うけど、眠くなっちゃうことなんて誰にでもあるし、眠たさの程度にだって個人差がすごくあるはず。眠気をごまかして無理してなんかやるより、15分くらい寝かせてくれた方がよっぽど効率もいい*1と思うんだけど、「勤務時間中に寝るなんてけしからん!」て「酒席で酒を拒むなんてけしからん!」よりも強固に信じられてる面があるように感じます。


あと、「仕事に対して緊張感がないから眠くなるんだ」とかいうのも。何年も同じ仕事やってて緊張感なんか持ってられるかよ。というのもあるけど、私はえらい人とサシで話してるときに緊張のあまり*2眠りに落ちたことがあるので、必ずしも緊張感とか関係ないんじゃないかと思ってます。私自身がなにか昼間眠くなりすぎる体質なのかもしれないし、専門医に相談すれば診断書とかもらえるかもしれないけど、そうならそうで事態は一層不利になるのでわ? 「勤務中に寝てはならない」みたいな迷信(?)じみた習慣はやくなくなって欲しいです。そのためには「アルハラ」みたいな使いやすい言葉ができて、浸透していけばいいのかも。でもうまいの思い浮かばない。

このテーマの応援歌みたくなものはすでにあります↓
「ねむたいジャズ」
http://d.hatena.ne.jp/asita211/20090610/1244659975

おなじ「ニーあし」に関連エントリもあるでよ。ていうかこれに全部書いてあるので読みましょう。

寝た子を おこすな! いねむりはニートのはじまり。じゃましないでよ。
http://d.hatena.ne.jp/asita211/20090218/1234969038

*1:実際にお昼寝設備用意してる会社もあるらしいです。

*2:逃避かしら?

相殺論じゃないです

日本の人権問題については沢山ブクマする人たちが、北朝鮮や中国の人権問題にはすがすがしいほどスルーする様子に、気持ち悪さを感じている人は沢山います。そして結論付けるわけです。こいつらは人権や反ファシズムが大事なのではなく、ただ「反日」なだけだと。*1


これはid:lever_buildingさんの「アンチ・ファシズム」が ファシズムに おちて ゆきませんように - やねごんの にっきというエントリについた「ねとうよ」さんのコメントです。このエントリ自体とてもすばらしいものだし、コメントについてもすでにやりとりがあるので私の出る幕でもないんですが、このコメントはわかりやすくてよいと思ったので引用しました。


また、私は先日、ここにもある通り、ネトウヨらしき人と話す機会がありました。ちなみになにが「ネトウヨらし」かったかというと、「あなたたちの主張のウソはネットでは全てあばかれてるんですよ」というような発言が印象深くて、ああネットで情報収集してる人なんだなと思ったので。私なりに考えていることを言えたし、私がしゃべってるときにさえぎらずに一通り聞いてから、同意できるところ/より説明を求めるところ/反論、など丁寧に応答してくれたので落ち着いた話し合いとなりました。しかし残念なことに、差別やヘイトスピーチはいけないというところでは了解が得られるものの、(ひとことでまとめれば)「拉致についてはどう考えるんですか」「北朝鮮はならずもの国家だ」というような思いがつよく、「朝鮮高校の学生だからって差別するのはいけないと思うけど、制裁や無償化除外については北朝鮮がああいう国だから仕方ない措置だし、北朝鮮の体制そのものを問題にしないならあなたたちの言うことなんて誰も聞く耳もたないよ」とかで締めくくられてしまいました。つまり、差別や人権侵害はよくない、という共通認識があっても、この人にはこの人なりの理路で「北朝鮮制裁」などを正当化しているようでした。


さらに、はてなブックマークでもこういうのがあります。

tari-G これを〈戦争協力〉と呼ぶと、例えば朝鮮学校などはより強く〈戦争協力〉をしていることになってしまうだろう。ま、〈侵略戦争〉をメルクマールに「良い戦争」と「悪い戦争」があるとでもしてるんだろうが…無理。 2010/05/21*2


これはid:toledさんの東京シューレの戦争協力に反対するOB・OG・OQ・支援者有志共同声明 - 催涙レシピ に対する、id:tari-Gさんのブックマークコメントです。元エントリは東京シューレボーイング社の話題なのに朝鮮学校が出てくるの唐突な印象を受けますが、おそらく、同じブログで「無償化排除問題」について言及しているので、「ボーイング社の助成を受けることを戦争協力といって批判するなら、公然と朝鮮学校の教育権を擁護するのは二重基準ではないか」というような、tari-Gさんなりの状況把握に基づいた考えがあるのだと思います。言うまでもなく、tari-Gさんは差別や人権侵害につよい問題関心を持っている人です*3。しかし、「例えば朝鮮学校などはより強く〈戦争協力〉をしていることになってしまう」などということを平気で言ってしまう。


差別や人権侵害はよくないと言ったときに「なぜサヨク金正日体制を問題にしないのか」という枠組みを設定したがる人が本当に多いです。まいきょにいとまがありません。そもそも、冒頭のやねごんさんのエントリでは、

・日本人が「イデオロギーフリーな主体」としての自己規定のもとに
・普遍的な「人権」の観点から、例えば「北朝鮮における」「チベットにおける」人権問題を取り上げ
・「北朝鮮民主化」「フリーチベット」に声を上げたい

という態度が、「北朝鮮」「チベット」にとりわけ言及する点で、(差別と偏見にみちた)世論におもねっているのではないか、と批判されています。同感です*4。しかし、おもねらないと今度は「共感を得られない」ひどいのになると「工作員」ということにされたりするみたい。そこで私が注目したいのは、次のような言説です↓

北朝鮮拉致問題について、従来左翼は「しかし日本帝国主義もひどいことをした」というような「相殺論」しか提示できなかった。日本の戦争犯罪はそれとして、北朝鮮の人権問題はそれとして、普遍的な人権尊重の精神から相殺せずきちんと問題にしていくべきだ。*5


そしてこれが例えば、「左翼がこんなだから(拉致被害者)家族会は排外主義方面に流れたんだ」みたいな状況把握にもつながったりするみたいです*6


これには一定の説得力があるようで、「反日でない」ことを強調しながら人権擁護活動をしているような人たちは100%共感してるんじゃないでしょうか。しかし、私は、これは「相殺」という言葉の使い方がおかしいと思います。相殺ではない。日本の植民地主義や差別排外主義、戦後責任を問題にすることなしに、朝鮮民主主義人民共和国の体制をうんぬんすることはできません。両者には深いかかわりがあるからです。


話はそれますが、例えば、環境問題や森林保護にそれなりの関心を持つある人が、テレビでどこぞの森林伐採のひどい有様を目にして言います。「ああーこういう発展途上国にはまともな林業とかないんだろうなー。日本国内ではこんなひどい伐採ありえないわ。でも自然環境はこれからみんなで守っていかなきゃいけないものだし、こういう途上国には先進国が進んで介入して、少なくとも無茶な伐採はやめさせるべきなんじゃないの? 日本企業が植林してるとかCMでもやってるし。」

しかし日本は世界有数の木材輸入国だということを聞かされます。

日本は、紙生産の原料である木材チップやパルプを大量輸入する世界有数の国なのです。輸入される大部分は、原生林から産出されてきています。
特に、オーストラリアのタスマニア州では、毎年サッカー場9,500個分の面積の原生林を含む森林が破壊的に伐採され、そのうちの90%近くがチップとなって、日本に輸出されてきています。日本で紙や紙製品となり消費されるために、タスマニアの森林生態系が破壊されているのです。*7


こういうのは「相殺論」とは言わない。「それはそれとして環境保護のために介入しよう」とはならないですよね。しかし、「拉致問題」にからめて日本の歴史を振り返ることが「相殺論」であるというのは共感を集めています。それはつまり、善良な日本が拉致被害を受けた。あれは北の一方的な犯罪行為である。という認識に立ってしまっているからです。日本無罪化の欲望。いや、犯罪は相互性関係ない。悪いことは悪いんだ。と言うかもしれません。その通りです。しかし少なくとも、「拉致は北朝鮮の一方的な国家犯罪である」という認識は誤りなので改める必要があります。ここでもていねいに述べられていますが、朝鮮戦争では後方基地としての役割を果たし、冷戦構造の中で包囲を強め、現在進行形で制裁を加えている。ずっと戦争状態を継続させているわけです。戦争犯罪だからいいとかしょうがないというのではありません。本当に問題として意識を向けているなら、一方的かつ独善的な認識を持ちながら「イデオロギーフリーな主体」を気取ることなんてできないし、植民地主義無反省に加え現在進行形で軍事的に包囲している中で「普遍的な人権」を他国の政治体制に振りかざすのはおかしいです。やねごんさんも書いている通り、もっと先にみるべきもの/やるべきことがあるはずです。


冒頭に引用したコメントに戻り手を加えれば、「『反日』という問題意識をスルーする人権派やアンチファに未来はない」と思っています。




【追記】

と、上記のような状況把握&考えで冒頭のやねごんさんのエントリに深く同意するわけですが、id:tari-Gさんのブックマークコメントでの批判がよくわかりません。

tari-G これはひどい, 本人が, ファシズムに, 落ちている, はてなタワー, 67棟目, 1/3階 人権侵害は国家国籍民族現在過去等に関係なく常に非難し改善を求めなればならない。日本の人権侵害を正当化する右翼も社会主義国等の人権侵害を等閑視する筆者のような一部の左翼も共に侵害に荷担していると言える 2010/06/2*8

社会主義国等の人権侵害を等閑視しないからこそ、現在日本の差別排外主義的風潮に棹さすようなかたちでの「北朝鮮体制批判」言説に対して昂然と日本社会の責任を述べてきたのが筆者だと思います。

tari-G はてなタワー, 67棟目, 2/3階 客観的に北は間違いなく現在地球最悪のファシズム国家。日本国の在日差別・対北政策等は完全に論外だが「日本人が最悪のファシズム国家の民主化を言うとファシズム」なんて寝言はあまりに狂いすぎ。 2010/06/28*9

「客観的に北は間違いなく現在地球最悪のファシズム国家」とは踏み込んだ発言ですね。私は当代国際事情について正確な知識を持っていないので事実関係を争うようなことはできません。「日本人が最悪のファシズム国家の民主化を言うとファシズム」は寝言でしょうか? このご時世で「北朝鮮体制民主化」を(あなたのように)言い募ることは容易に体制打倒運動に接続すると思います。

tari-G はてなタワー, 67棟目, 3/3階 国家と民族と国民を区別できずそれぞれの責任の違いも理解できない未開人が多すぎ。特にはてサ。なんでここまで無知なのorz/コメント欄も幼稚すぎ/超初歩的蒙昧を再三指摘されても反発だけで事実かもと疑う事もしない 2010/06/28*10

国家と民族と国民を区別して対処するとかって「人間の安全保障」「人道的介入」みたいなことですか? うさんくさい軍事大国の論理ですよね。望みがあると考える人もいるかもしれないけど、少なくとも現在の日本と朝鮮半島の関係においては適用できない概念と思います。
あと、tari-Gさんは「超初歩的蒙昧」とかすごい言葉遣いで、今回に限らずたびたび「はてサの無知」を嘆いています。なにか認識を決定的に覆すような知識があるんでしょうか。知りたいです。

*1:http://d.hatena.ne.jp/lever_building/20100626#c1277595761

*2:http://b.hatena.ne.jp/tari-G/20100521#bookmark-21674279

*3:ブックマークコメントとかで私が勝手にそう判断してるだけだけど。

*4:おもねりという点では、これも顕著→http://chousayoku.blog100.fc2.com/blog-entry-482.html

*5:引用記法で書いてますけど正確な引用じゃないし、誰が言ったのかも忘れました。教えてください。でもこれありますよね。

*6:これは家族会の政治的主体性を無視してて端的に失礼なので全然同意できません。

*7:http://www.greenpeace.or.jp/campaign/forests/tasmania/ ちなみに、ここ経由で知りました→http://mdebugger.blog88.fc2.com/blog-entry-61.html

*8:http://b.hatena.ne.jp/tari-G/20100626#bookmark-22706354

*9:http://b.hatena.ne.jp/tari-G/20100628#bookmark-22716081

*10:http://b.hatena.ne.jp/tari-G/20100628#bookmark-22758640

「日本再生」言いたがる人たちって



どこ経由だかでJBpress(日本ビジネスプレス)というサイト知りました。「直近一時間のランキング」だけでもなんかイヤな予感するものの、会社案内チェキしたら下記のように↓






「日本再生にむけた真に建設的な議論」をなんちゃららしい。


とりあえず人気記事から、「国防」カテゴリの「民主党よ、そんなに中国に国土を譲りたいのか」という記事を読んでみました。元・空将にして現・三菱重工業航空宇宙事業本部顧問であるところの織田邦男氏による。織田邦男氏、外国人参政権に触れるなかで沖縄にも言及。

永住外国人への地方参政権付与は安全保障上、極めて問題が多い。現在、日本の永住外国人は91万人。うち特別永住者と呼ばれる在日韓国・朝鮮人が42万人、一般永住者である中国人が14万人。毎年約1万人ずつ増加している。

また外国人登録をしている外国人は200万人いる。これも毎年約5万人ずつ増えている。最も多いのは中国人で66万人。これらの外国人に地方参政権を与えようとするのが、この法案である。

国政ではなく地方参政権だから問題ないと賛成派は主張する。これが大きな間違いであることは、今年(2010年)1月に実施された名護市長選を見れば分かる。

1588票差で普天間移設反対派の候補者が当選した。その結果、普天間基地辺野古移設は極めて難しくなった。一地方の市長選挙が日米同盟関係を揺るがし、国の安全保障政策全体を振り回す結果になっている。犬が尻尾を振るのではなく、尻尾が犬を振り回しているのだ。*1


いきなりこの調子。よくこんな文章のっけるね。外国人参政権以前に民主的な手続き自体がいらんっていう話じゃん。「尻尾」というのも適切でない。尻尾のない犬もいる。国民主権なら民意は「首」ではないですか。「沖縄の民意」に対して差別的な意図をもって「尻尾」という表現を選んだのでなければ。元・空将とかいう人だから安全保障政策がスムースに遂行されるようなあり方を望むのは自然なことかもしれないし、とりあえず軍人が軍人の理想をしゃべりたいならそうすればいい。けどこんなの聞くに値する見識としてビジネスメディアが取り上げる水準のものかしら。


兵法とかなんだとか古来ビジネスと親和性高いけど、それはただ単に「軍人の論理」を繰り返すことではなかったと思う。ビジネスというのは、「○○のためなら犠牲もやむなし」ということを安易に主張してればそれでいいなんてばかな話ではないはずなのに、そういうしょうもないところばっかりを最大の焦点として、軍人でもない人が「軍人の論理」を繰り返す構図がある気がする。犠牲になるってことがどんなことか想像もないし、さしあたって自分は安全という特権的な立場から、「自分を含む集団の利益」のために犠牲を求めるのがビジネス的でスマートであるかのような。


「日本再生」ていう言葉は「経済的に没落しつつある日本だがこのままではいけない。また経済大国としての栄光を」みたいな意味合い。でも「日本に住むみんなが元気に」というような意味ですらない*2ようで、「日本再生」言いたがる人の主張見ると、排外主義的な要素ともなってること多い*3。経済的繁栄をめざすにしてももっといろんなアプローチがあってもいいのでわ? とか思うんだけど、「日本」を掲げる以上そうなってしまうのかもしれない。平気で「日本」を掲げる感性というか?*4


人を踏みつけにしてでも(日本の)繁栄を、とか未来ないと思う。「啓蒙とか近代化のアポリア」とかそういうの以前の話。人を踏みにじる構図の温存/拡大を選択することを、ビジネスの態度として居直るだけの「日本再生」はつまり、近代化もしてない日本で、日本人としてのメンバーシップを強化し自分たちだけが特権と繁栄を享受したいという欲望でしかない。選挙の時期で、「これからの日本を〜」という枕でいろんな主張がなされてると思うけど、こういう「日本再生」と大差ないのも多そう。私は今回も投票には行かないけど、投票される方も日本を再生させないように気をつけてください。

*1:http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/3801 強調は引用者。

*2:どっちにしろ気にくわないが。

*3:日本再生酒場はよく知らない。

*4:日の丸だいすきっぽいし。

落ちてるギンナンも取ってはならないって?

日比谷公園にあるトイレの中に奇妙な張り紙を見つけた。トイレの手洗い場に張ってある張り紙には「流しが詰まるので、ギンナンの皮をむいたり、ギンナンを洗ったりすることを、禁止する。 日比谷公園管理所」というもの。何故にギンナン? 疑問に思ったガジェット通信記者は早速、日比谷公園管理所に聞いてみた。

(中略)

季節になると取れるギンナンを求めてやってくるホームレスへの警告だという。日比谷公園と言えば日比谷公会堂があり多くの人がたびたび訪れる場所だ。そんな公園のトイレが詰まってしまって大勢の人が困ってしまうことになる。そこで公園管理所側はこのような張り紙をしたのだろう。

そもそもギンナンを勝手に取って良いのかどうかが問題になってくるのだが、イチョウには「勝手にギンナンを取るな」という張り紙をしなくていいの?

http://getnews.jp/archives/53763


こんな記事どうでもいいかもしれないけどむかついたし、こういうのはいちいち指摘した方がいいと思って。


この記者とか公園事務所とか、野宿者の栄養状態は全然気にならないのかしら。「公園のトイレが詰まってしまって大勢の人が困ってしまうことになる」とか書いてなんか憂慮してるけど、今現在衣食住に事欠いて困ってる人は「大勢の人」には含まれていないかのよう。挙げ句に↓

「勝手にギンナンを取るな」という張り紙をしなくていいの?


たしかに、ギンナン食うために植えてるわけじゃないだろうけどね。「取るな」まで提案できる感性におどろく。この記者とか「ガジェット通信」にも抗議とかしたい。

ガジェット通信
「ガジェット通信」は、デジタルガジェット情報・ライフスタイル提案等を提供するウェブ媒体です。 シリアスさを排除し、ジョークを交えながら肩の力を抜いて楽しんでいただける媒体を目指します。

http://tokyosangyo.jp/


シリアスさを排除したいならガジェットにだけ言及してろよ。

人権教育に問題&人権教育の問題のせいにしたがる現象


人権教育の問題点 - Whoso is not expressly included
http://han.org/blog/2010/02/post-123.html


この記事のブックマークコメントがひどいので手短かに。


差別は全てが悪い心の問題でなく構造的に「悪気なく」起こる。その通りでしょう。だとしても、差別事象が悪いものであるということ自体は揺るぎない前提であるはずなので、生ワクチンやらで「差別事象を最小にするアーキテクチャ」かなんかを構想しようがどうしようが「心の問題」としての視座も同時に持ち続けなくてはいけないと思います*1。構造的差別を話題にするとき、そこで指摘される「意図せぬ差別」は、その構造における特権者にまさにその特権の有り様を自覚させ、差別構造への加担と責任について思いをめぐらせるものであるはずだし、そうでなくてなりません。あえて「そうでなくてはならない」とまで書くのは、このような構造的差別を問題にするときに、その「専ら悪い人が差別するわけではない」という文句は全く逆の効果も持つからです。つまり、「これは構造の問題であって、私に関わる倫理の問題ではない」というような。これは、差別事象とそれに関わる個々の人間主体を分断的に捉えようとする点で全く間違っているし、そうした分断がなされてしまえば、結局は、差別事象についてそれを(構造的に)取り巻く社会の問題として捉える視点も持ち得ない。これについては、差別事象に対して「客観的な観察者」の立場をとろうとした場合に、このような誤りがでてくるのではないかと考えていますが。いずれにせよ、「差別は専ら心の問題ではない」と言ったところで、しかし個人個人が社会の中で関わる際に「差別はいけない」という前提を持たなければどうしようもないし、「差別はなくならないだろう」という冷静にして客観的(?)な分析だけを投げ出して、個人としての「差別心」に対する内省をやめてしまうとしたらこんな最悪なことはないです。


ともかく、上に挙げたエントリは前半部までは構造的差別のわかりやすい説明になっているのですが、構造的差別の議論を「道徳教育」への批判に用いる箇所では上記の誤解を招きやすいまとめかたをしているし、ついでに言えば、この日本社会におけるアクチュアルな問題としての在日韓国・朝鮮人差別の問題は、構造的差別という視点をとるにせよ(とらないにせよ)「日本人問題」と呼ぶべきものなので、「在日コリアンが怒ってますよ」とダシにする必要がないのと同じ分だけ、愛着やら実感やらとも関係なしとしていいものです。「愛着を持っている在日コリアンもたくさんいる」ということは、「日本人は朝鮮半島と向き合わなくていい」を全く意味しないということは確認しておきたいところですね。そして特権者が「実感」できないところで、まだ加害の歴史は継続している。という問題意識がなければ、歴史上何度も起きていた「命がけの反差別闘争」とでも呼ぶべき出来事は、まさしく「外部からの」意味不明な犯罪行為として扱われるだけだし、現にそういう認識が大勢のように思います。つまり、差別の継続です。


最後に、「人権教育の問題点」というタイトルで、重要な視点だなと思った記事を引用しておきます。

ある学校で、人権教育をおこなう。どのような人権をおしえるのか。どのような教育にするのか。それを議論することも大事だ。けれども、学生たちが その学校に かようようになるまで、さまざまな選別を通過している。学生たちは、選別に勝利したものたちだ。
(中略)
統制のきくひとたちが参加する学校。そこで なにが おしえられようとも、人権侵害を前提とした社会システムに ほかならない。学校で人権をおしえるということは、矛盾をおしえるということ、ホンネとタテマエをおしえるということ、人権をいかに侵害するかということをおしえることにしか なっていない。それは、いかに教育内容をかえようとも、おなじことである。

人権教育など、ありえない。教育は人権侵害を前提にするからだ。統制を前提にしない教育なら、強制的に授業の時間が決定されていてはいけないし、場所が勝手に きめられていてはいけないし、おしえられることが学生との相談なしに決定されていてはいけない。


人権教育は、ありえない - hituziのブログ 無料体験コース
http://blog.goo.ne.jp/hituzinosanpo/e/1cd8da334076a8e2fdf33289be43d793

*1:構造的差別を話題にしつつ、「心の問題にするのも不毛だし、差別があることを前提として差別事象を最小化するアーキテクチャ」うんぬんやりだすと、例えばハンセン病(元)患者たちに対する隔離政策を批判できなくなっちゃうなんてことも……?

「生活困窮者」とお酒


公設派遣村の利用者200人が無断外泊をしたとか、渡された行動費(?)2万円で酒を飲んだとかいう報道があり、また、それは正確ではない、いい加減な報道はやめろ、という表明もなされています。

東京都の派遣村200人、無断外泊 交通費2万円受給後
http://www.asahi.com/national/update/0107/TKY201001070240.html

公設派遣村「無断外泊200名」は事実誤認 - 大多数の利用者は真剣に努力
http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10432612600.html

(1) 先週後半から「無断外泊200名」とか「2万円を持って逃亡」、飲酒事件など、東京都の「生活総合相談」の利用者(大田区の宿泊施設滞在者)の不祥事に関する情報が、一部メディアで盛んに報じられています。しかし、これらは誤った情報に基づく完全な事実誤認か、ごく一部の心ない利用者の行動を誇張して、生活再建に真剣に努力する大多数の利用者の心を深く傷つける行為と言わざるを得ません。中には、「?」マーク等をつるとか、今回とは全く関係ない昨年の「年越し派遣村」の写真を掲載して無関係の脚注をつけるなどの報道もあります。マスコミ各社には事実を正確に取材した冷静な報道を求めるものです。

中略

 (3) ごく一部ですが、心ない利用者が飲酒や貴重な行動費2万円(交通費、昼食代)を費消したことは事実であり、ワンストップの会としても非常に残念に感じています。しかし、大多数の利用者は真剣に各種制度を利用した生活再建の道に踏み出し、真剣に努力しています。生活保護について言えば、多くの区で今週前半に開始決定が出る予定であり、住まい探しが佳境にはいっている状況です。


このワンストップの会からの声明で「ごく一部の心ない利用者」という表現がなされていることはかなり違和感があります。ニートのあしたというブログでも指摘されていますが、ニートのあしたでの指摘とは別の観点でもそう思うので、いちおう書いておきます。


それはともかくそもそもよくわからないのが、政府設置の「貧困・困窮者支援チーム」発の事業が描く「困窮者支援」が、東京都では(建前上であれ)「求職の意志を示した者」に限定して提供されることになっていたことです*1。貧困・困窮者支援チームは「緊急雇用対策本部」に設置されてるんだから当たり前ではないか、となるかもしれないけど、東京都の「公設派遣村」だけでなく、各地でも「貧困・困窮者支援チーム」の号令のもと困窮者への年末年始の宿泊提供は行われていて、そのなかには、従来から行政と支援団体の連携のもと行われていた野宿者への越年越冬事業が今年も行われたというだけ、というのも含まれています*2。野宿者への越年越冬事業にも当然「自立支援」的な性格はあるので、東京都の事業とかけはなれていたかといえばそうでもないのかもしれないですが、この東京都の公設派遣村ばっかりがいろいろと騒がれた割には、理念がよくわからないというか、昨年の「派遣村」をなぞるでもなく、「困窮者支援」という看板の下でありながら「困窮者支援」とはとても言えない内容しか打ち出していなかったのは意味不明だと思いました。なんかアリバイ作り程度という印象。と言ったら言い過ぎかもしれないけど。というのも、(求職登録が必要な点でも)誰でも受け入れる宿泊所、緊急シェルターですらなかったし、自立支援の機能がメインであったにしてもそれは極めて心もとないものであったようです。例えば「ワンストップの会」が要望書を出したり、(公設派遣村内とは)別に相談会をバスで行い、都がそれに反発したりということがありました*3。結果としては入所者の大半が生活保護を受給し、とりあえずのアパートも確保でき、今後も求職活動を続けていく。というかたちで一段落したようですが*4


ここで冒頭の話題に戻りますが、こういう意味不明な事業であるだけに、というべきか、生活困窮者とアディクションの問題への意識がすっぽり抜け落ちているように思えます。「ワンストップの会」がさしあたって派遣村の限定的な機能、つまり就労支援を焦点にしているので、酒を買った人を「一部の心ない利用者」と表現し遺憾の意を示さざるを得ない。というような事情があるのかもしれないし、またあるいは、酒を買った利用者はアルコール依存症でもなんでもないなど裏が取れている。ということもあるかもしれないです。どうであれ、やはり不適切だと思います*5。本当の意味での困窮者支援であれば、一面においては、酒を買った人にこそ提供されるべきだからです。今こそ声高に言うべきことは、アルコール依存、ギャンブル依存、薬物依存等々はその責を当事者個人に押し付けるべき問題ではないということであり、諸々の疾病に対するがごとく依存症脱出への取り組みがなされるべきだということです。例えばギャンブル依存関係での体験談では、競馬だか競輪だかのために山林を売ってしまい親族関係を絶たれてそれ以来ずっと野宿生活というような実例があります。収入の全てを飲んでしまい、借金を作って酒を飲み、やがては仕事も出来なくなる。という話もあります。「ギャンブル中毒」「アル中」と呼ばれる人たちは関わる人たちに迷惑をかけ疎まれ一人になります。酒にしろギャンブルにしろ嗜好品とか楽しみという側面が強いために、それらにはまりこんでなにか過ちをおかすとかすればよりいっそう蔑まれ憎まれます。当事者家族などは実際にたいへんな苦労をするので、当事者間の範囲でそうした感情が出てくるのは仕方のないことではあるものの、アディクションの問題を社会的な問題として捉えた場合には、「自己責任のおろかなアル中」といったような偏見を放置してもなにもいいことはありません。依存症になる契機はいろいろあるものの、いざ依存症になれば人はアルコールやギャンブルへの欲求に対して全く無力になり、望ましくない結果を自ら招いてしまいます。なにか不幸なきっかけで依存症になり居場所を失い……ということが起きていて、それがたまたま酒やギャンブルに関わるものであったために「心ある」人たちからは「心ない」人などと言われ、ますます困窮の度合いを深めていくわけです。


アディクションに対応するアプローチはいろいろあるし、また研究されている分野ですが、第一には酒やギャンブル等に対して全く無力なった自分を自覚し、内面化された「自己責任」の感情や自己嫌悪をやめ、依存症に対処していく自覚を持つところからはじまるそうです。私はなにも酒飲みみんなを自助グループに入れろとか、酒やギャンブルその他を強力に規制しろとか言いたいわけではないですが、少なくとも生活困窮者*6支援の現場から「酒を飲んだ者」が排除されるとしたら、こんなにおかしなことはないと思います。実際の野宿者支援の現場ではアディクションに対応していく問題意識はあるし、自助グループと組んだ取り組みも実際になされていますが、それはそれとして、世間一般の例えば「アル中」への偏見もなくしていくべきだと思います。


あと、必要のない補足かもしれないですが、私は「優秀な勤労人民」の一員に復帰してもらうためにもアディクションを問題にしろとか言っているわけではないです。アルコール依存症とかはライフスタイルの問題ではないということです。本人が楽しそうにおいしそうにお酒を飲んでいても、実は望ましからざる領野へ踏み込んでいるという現実があり、その悩みは問題として共有されるべきだということです。

*1:東京都のいわゆる「公設派遣村」を利用するためには、事前にハローワークで求職登録する必要がありました。

*2:もちろん、それの実施に当たって行政が介入の度合いを強めたりとかいろいろの違いはあったみたいですが。

*3:http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10424403515.html

*4:http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20100118ATDG1800G18012010.html

*5:後者だったとしても、後述する「アル中」への偏見に掉さす表現なので不適切だと思います。

*6:「生活困窮者」ていう言い方もなんかな……と思ったのでタイトルではカッコつきにしました。

後退戦、かなしい


在特会なんか相手にしなくてもいい」という意見があって、つまりそれが「敵は在特会じゃない××だ。××への批判の手をゆるめるな」*1という意味ならそんなことはとっくにわかってる。「あんなカルトに向き合うことは同じレベルに身を落とすことだ」「ただ黙殺すれば良い」という意味ならそれは全然だめ。認識不足です。例えば、これは在特会の活動そのものではないのでやや話がそれますが、日本の台湾植民地統治を扱ったNHKスペシャルJAPANデビュー"アジアの一等国"」に対する抗議運動なんかは8000人以上が名を連ねたNHKへの集団訴訟になりました。国会議員(当時)の中山成彬も動いています。この盛り上がりには多少驚かされました。確かに、「NHKの大罪」界隈と在特会は全く同じではないみたいですが、8/15に九段坂下で演説してた在特会の人は高金素梅さんに(ヘイトむき出しで)言及していたし、私としては自慰史観や排外主義の度合いの違いには興味ありません。いずれにせよ共通の土壌があります。多分、在特会は「代弁者」でもある。彼らが引き受けているのは、良識ヅラした大人たちにはとても口に出せない欲望だったり、憎しみだったりするのかもしれない。それもあるだろうけど、もっと大きいのは日本社会に内在する排外主義であり、日本が歴史的に形成した産業構造そのものに差別/排外主義的な国民統合の意志*2が宿命的に内在している。

むろん、日本はあらゆる場所においていまだ排外主義が根付いているのである。しかし、そうした排外主義は、あたかもあの金融資本主義の象徴的な手段である「証券化」のように、細かく細分化され、その最も不合理で、愚劣な、どうしようもない部分はより分けられ、下層に沈殿する。まさにその格付けが最低の証券の引き受け手が、在特会なのである。この点で、彼らを「政治」的な敵対者として認めず、愚かなばか者として見下すことこそが彼らに力を与えない最良の方策であると考える者はまちがっている。排外主義が持つ極端な不合理性を切り離せば切り離すほど、それは沈殿し、在特会によって引き受けられていく。
http://h.hatena.ne.jp/hokusyu/9236534213747842917


他方、例えば牛久入管では、非人道的な処遇が行われ収容制度そのものにも問題がある*3。同様の問題は各地の入管にもある。また「マクリーン事件」の判決によれば、憲法の規定する「基本的人権」は外国人にあっては既存の在留制度の範囲内でのみ保障されるとあり、このケースは判例として今も有効性を持っている*4外国人労働者が不安定で劣悪な就労状況にあることはもうみんな知ってる。入管問題や外国人労働者の問題は全く詳しくないですが、そんな私が見聞きする範囲で適当に挙げてもこれだけ象徴的な事例があるということです。

外国人労働者は、外国人であると同時に労働者階級の一員である。とかく文化的葛藤が注目されがちな彼らの労働過程も、そこをつらぬくものは資本の論理であり、分断され階層化された労働者階級の一番したにおかれた外国人に対して行われていることが、いつ日本人にまわってこないとも限らない。不安定な雇用におびえる外国人の姿は、彼らの苦境にそ知らぬ顔をしている日本人自身の明日の姿なのだ。
ななころびやおき『ブエノス・ディアス、ニッポン』ラティーナ,p36


ヘイトスピーチは許さない」というとき、一つは、もちろん在特会なり(ネット)右翼なりのヘイトスピーチそのものが問題になります。それも彼らを嘲笑したり、「若気の至り」などと軽視するようなやり方でなく問題にすべきです。彼らを軽視したり黙殺しようとすることは、上に書いたように、すでにムーブメントが大きくなっていることを過小評価する点で誤りです。そしてまた、強調したい点ですが、在特会なりネット右翼なりが「若気の至り」だろうが「心の病」だろうが、それは問題としてあるけれども、軽視する理由にはならないし放置はできないということです。なぜって、在特会なりネット右翼なりが憎悪をこめて「中韓」をはじめとする外国人に差別的な言葉を投げかけるとき、その暴力に晒される側にしてみたら、暴力を振るう側に若さゆえの一時の気の迷いとかそんな事情があろうが何だろうがどうでもいいはずだからです。つまり、「政治にかぶれる青春もあるさ」というような物言いで彼らの振る舞いを総括し軽視することは、彼らの主張そのものが現実として暴力に他ならないという現状認識を欠き、またその暴力に傷つく人たちがいるということを想像しえない点で全く不適切です。じゃあどうすればいいか。どうするもこうするも、差別が許される局面などない*5


しかし、在特会とかを相手にするのはあくまで後退戦でしかない*6。入管問題にしても労働問題にしても、現場ごとに当事者と向き合う地道な運動があります。それらだけでなく、差別と排除の問題はいたるところにあり、いたるところで極めて少数の人たちが闘っていて、もちろん「成果」と呼べる経験も沢山ある。しかしその一方で、外国人に対する差別的な政策は残っているし、外国人だけでなく日本人労働者たちも階層化したなかで年間3万を越す人々が自殺している。そして、生活不満や「やり切れなさ」を背景にしているのか、在特会のような差別者集団が往来に出てくるようにもなってきた*7。「現場でがんばっている人はすごいなあ」「実務家にまかせておこう」と感心している間に事態はここまで後退したわけです。秋葉原の路上でたった一人(正確には三人?)の常野さんが暴力と怒号に晒されてる動画を見ました。
「なんてひどい事態!」
しかし日本人としての、傍観者としての日々の暮らしそのものが、「ひどい事態」への加担であった。じゃあどうすれば? 最初に「敵は在特会じゃない××だ。」と書きました。××は人それぞれ設定される部分もあるでしょう。しかし排外主義暴力を問題にした場合、根底にあるものは「日本人」というメンバーシップです。今や日本国籍であってもそのメンバーシップを与えられない/奪われるというだけの話です。それぞれの生に基づいた様々なアプローチがあるにせよ、このメンバーシップがあらゆる差別/排除の根源であることを直視しない限りはなにもはじまりません。つまり「反日」ということです。「仲間たちと手を取り合っていきたい」ここでいう「仲間」が本当に無限定なものであるなら、仲間とともに暮らす生活はつまり「日本」への反抗であり、「反日」でないなら仲間とともに暮らすことはできないと思います。そんなわけで、このエントリは過去記事に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/Romance/20090627

*1:××には「日の丸」「排外主義」「入管制度」でもなんでも好きなのを入れてね。

*2:ここで「意志する」主体が具体的な誰かとして存在しているとかいうと陰謀論めくので、そこはそうとらないで欲しいです。とりあえずレーニンの言うような意味かなー。

*3:参考:牛久の会→http://www011.upp.so-net.ne.jp/ushikunokai/

*4:参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

*5:このへんの文体がなんかsk-44さんぽくなってる気がする……

*6:以前こう書いてました。"「在特会」なんていう差別者集団が大声をあげるに至る前から、もっと「ソフィスティケイトされた差別」が微量栄養素みたいに当たり前に必要とされて、日本社会のすみずみまで、血流のようなお金の流れに乗ってどこにでも存在していたように思います。"http://d.hatena.ne.jp/Romance/20090614#p1

*7:いわゆる「ネット右翼」現象については、私としてはおおざっぱながら、以下のような印象を持ってます。生活不満が「反戦平和」的な理想よりも露悪趣味みたいな「ホンネ」の表出を促し、「左翼フォビア」は80年代以降連綿と続く左翼運動/組合運動の退潮に軌を合わせつつも、国旗国歌法をめぐる議論あたりを一つの大きな契機として一段と強まり、しかも「左翼=売国勢力」みたいな陰謀論が広まるのにあわせて排外主義が躊躇なく口に出されるようになった。という感じ。かなり適当。